宮川花子会見(全文2)大助「嫁はんに『余命6か月です』...そこからのスタートでした」
女房の余命をどないして延ばしてやろうかなと
女房の顔形が変わっていくものですから、眼球の後ろに腫瘍ができたもんだから、目ん玉を押し出すんですよ。「えーっ」ってなっていって、右足左足もどんどんマヒしていくんで、天野先生にたまたま電話番号持ってたんで、先生に「実はこうです」というと「バカかー」と怒られて、すぐに連れてきなさいといわれ、大慌てでみんなで寄ってたかって、車に乗せるのも大変な状態から、奈良の病院に着いた時に先生から「下半身不随は大ちゃん、覚悟しといてな」と言われたんです。 その時はもう、漫才がどうのとかいうよりは、女房の余命をどないして延ばしてやろうかなと。6か月という言葉が耳にありましたんで、僕も半分以上は腹くくっっとったし、そういう中で薬も新しいものが作られて医者を信用してくださいと言われた時に、どんどん効果が出てきて顔も形も元に戻っていきますし、そういう中で足がピクーピクーっと動き出して、そしてリハビリの先生とか天野先生らが「これは」ということになって、今ままでの治療の中では復活することはないらしいんですよ、それがどんどん戻ってきつつあるんで、お医者さんも「アンビリーバル?(案びりーばぼー)」から始まって 花子:ちょっと今間違ってへんか?そんな難しい言葉いらんから
「余命6か月」から...いまここに座ってます
大助:本当に信じられないことが起き出して、そういう中で、女房が復帰に向けてのリハビリで、我が家に戻って動けばもっと元気になるし、ベッドから立ったり、トイレに行けたり、自分ひとりでも自力で動ける社会復帰のリハビリの段階でいま続行中で、日一日と良くなっていってます。本当に車いすも1時間ものったことないし、初めての外出なんで、どこまで体力持つか心配でしたけど、お医者さんもそうですけど、たくさんの人、いろんなところから思いを送ってもらってます。そういう思いもみなこめて、女房の体の中にはいっているんで、これから大助花子のビジョンはと言われた時に、僕は女房にここへ来るときにプレッシャーかかってたんですけど「余命6か月」から...うん、そこからいまここに座ってます。イッツショータイムって僕はいいました。始まりです。 花子:なに泣いてるの。私は病院入った時から泣いたらアカンと思ってた。病室ね、自分だけじゃなくて窓から向こうの病棟が見えるんですよ。もっともっと苦しんでいる人がたくさんいらっしゃる。ここで泣くものかとずっと思っているんです。やっぱ自分が泣く時は、復帰できてNGKの舞台に立った時に、感謝の涙を流したいなというのがあるんです。弟子ですら3日前にこんな病気やったんやでと言うたくらいなんです。会社の桂文枝師匠や、ぼんちおさむさんや西川のりおさんにも、(笑福亭)鶴瓶さんにも、3日くらい前に実はこうだったんですと電話でしゃべってても「わからへんわからへん、花ちゃん一体何言うてんの?」となって、「入院しててん」ってなったんですけど、会社の人間、こんなにしゃべりがいてる中で、だーれも知らんかったんです。たいがい誰かが「聞いてたで花ちゃん」ってなるのに、まったく知らんかった。社員さんもほとんど知らんかった。横にいて看病してくれている弟子も全く知らない。看護師さんも「付き人来てるけど病気知らんから」というと病気の話とかしない。あした治療ですとかも言わない。治療終わっても元気でしたんで、最初の治療始まったらもどしたりとか副作用があるらしいんです。最初は私も全然わからない状態でしたので、娘と先生のやりとりで書かなあきませんやん。承諾書とか。それは娘が書いてましたんで、最初の点滴や治療も12時間かかりましたけど、もどすこともなく蕁麻疹もなくなにもないので、看護師さんもみんなびっくりしてはりました。