天皇陛下代替わりのたびに…500年の伝統「聖徳太子像の衣替え」今回はいまだ足踏み 京都・広隆寺、その背景は「上皇さまに遠慮」?
▽令和の衣替えはいつ? 新聞を調べてみると、平成の「衣替え」は、1994(平成6)年11月に行われ、当時の羽田孜前首相ら約350人が参列して「御袍御更衣(ごほうごこうい)之儀」が営まれた。 当時と同じく、令和も6年となったが、まだ衣替えの見通しはない。なぜなのか。広隆寺から回答はなく、今度は宮内庁に文書で質問したところ、「宮内庁として公表の対象になる事案ではないので、下賜金の予定があるともないとも、こちらの側からは何とも言えない」とのことだったが、明治以降の実例については記録をもとに解説してくれた。 「明治天皇紀」によると、古来より「天皇御料の古衣」、つまり天皇がそでを通した「実物」を着せていたが、明治以降は同じものを新たにつくるようになった。 「昭和天皇実録」には、1929(昭和4)年2月の欄に「広隆寺に聖徳太子像装束調製料を下賜される」と記述がある。新調した装束そのものの下賜を「時勢に鑑み」調製料の下賜に変更したのだという。
▽延暦寺では「御衣」法要 天皇の衣服を神聖なものとして扱う伝統はほかの寺院にもある。滋賀県大津市の比叡山延暦寺や、京都市の東寺では毎年「御修法(みしほ)」と呼ばれる法要が営まれ、天皇の衣の生地である「御衣(ぎょえ)」が奉安される。ともに、今年の法要をすでに終えており、宮内庁によると、両寺から宮内庁京都事務所を通じて「願い出」が出され、天皇陛下からの「お貸し下げ」が実現したという。 広隆寺から「願い出」が出ているのかどうかはっきりと答えが得られなかったが、寺の関係者を取材していると、こんな声が聞こえてきた。「今回の代替わりでは上皇さまがご存命なので、まだ衣替えができないようです」 ご存命である上皇さまの衣を今替えてしまうことに抵抗を感じるのは分からないでもない。だが、歴代天皇の意思は、聖徳太子への尊崇の証しに、即位した自分の衣を贈進し、自分一代の間は着続けていただく、ということだったのではないだろうか。900年もの歴史を持つ聖徳太子像が、無事に「令和の御代の装束」をまとう日が待たれる。