天皇陛下代替わりのたびに…500年の伝統「聖徳太子像の衣替え」今回はいまだ足踏み 京都・広隆寺、その背景は「上皇さまに遠慮」?
令和もはや6年。天皇陛下の代替わりはすっかり済んだように思えていたが、意外なところで足踏みしていることもある。京都・広隆寺にある聖徳太子像は、戦国時代以来500年にわたり、天皇代替わりのたびに衣装を着替えるのが伝統だが、令和になってからの衣替えがいまだ行われていない。その経緯を調べていくと―。(共同通信=大木賢一) 【写真】感受性と文才、東大も狙えた愛子さまの「資質」 15年見続けた記者、圧巻の会見に抱いた深い感慨 22年
▽天皇衣を着る聖徳太子像 私がその木像を知ったのは4年ほど前のことだった。天皇や皇室の話題をネットで探していて、観光案内などの記述を見つけた。広隆寺の等身大聖徳太子像は平安時代の1120年に制作され、歴代天皇が即位礼で着用した「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」を、天皇から贈られて身にまとっているらしい―。かいつまんで言うと、そのような話だった。 黄櫨染御袍は、天皇のみが着ることのできる黄色がかった茶色の束帯で、即位の礼だけでなく日常の宮中祭祀でも使用されている。 私は、2019年に皇居で行われた「即位礼正殿の儀」を、取材記者として現地で見た。天皇陛下の立つ「高御座(たかみくら)」の帳が開いた瞬間に目に入った装束の鮮やかな色を忘れることができない。 あの時の本物の装束を、木彫りの聖徳太子が着ているのか―。興奮して画像検索すると、果たしてその像は黄櫨染御袍をまとい、これも天皇の証である「立纓(りゅうえい)」(頭上にまっすぐ立ち上がる纓)の冠をかぶって立っていた。だが、これは現在の天皇陛下ではなく、平成の時代に上皇さまからの「下賜金」でつくられたものだという。 ▽即位果たせなかった太子への表敬
さっそく広隆寺に取材を試みたが、なぜか断られた。衣替えが始まった経緯や現状を聞くこともできず、像の画像掲載も許可が得られなかった。木像が毎年11月の太子の命日にしか公開されない「秘仏」であることなどが理由らしい。 そこで現地に足を運んでみると、太子像の安置された「上宮王院太子堂」に案内が書いてあった。 〈この太子像には古来より歴代天皇の黄櫨染御袍の御束帯が即位後、贈進されて、各天皇御一代を通じて着用される御例になっており、毎年11月22日に開扉される〉 さらに文献を調べると、平成年間の調査報告書に、次の記述があった。 〈現在、寺には後奈良天皇(在位1526―57年)着用とされる御袍を最古の例として、以降数代にわたる遺品が伝存している。〉 なぜ歴代天皇が自分の装束を太子像に着せるのか。報告書には「古来、皇室は聖徳太子への尊崇あつく」と書かれ、寺で配布しているパンフレットにも「太子の偉徳功業を景仰せられる歴代天皇が」と書かれている。皇太子でありながら即位することができなかった太子の無念を、衣を贈ることで歴代天皇が慰めてきたということだろうか。