開業からの変化が激しい「波瀾万丈」の路線3選 元祖本格LRT路線は77年を経て「元のさや」に
戦後は国鉄富山港線となり、1987年4月の国鉄分割民営化を経てJR西日本の所管となる。そして、北陸新幹線の延伸に伴い富山駅の高架化が構想されると、多額の投資に見合う利用が見込めないとされ、高架化せずLRT化することが決定された。 これを受けて、JR線としての富山港線は2006年2月末をもって廃止。約2カ月間のLRTへの切り替え期間を挟んで、同年4月29日に県や市、富山地方鉄道などの地元企業が出資する第三セクターの富山ライトレールとして再スタートした。
LRT化に伴い新駅の設置、ダイヤ改正(JR時代の1時間1本から4本へ増便・終電時間の改正)、ICカード「passca(パスカ)」の導入、さらにLRTの蓮町駅・岩瀬浜駅に接続するフィーダーバスを運行開始するなど、使い勝手を大幅に改善した。 その結果、2005年度に平日2265人・休日1045人だった1日当たりの輸送人員は、LRT化後の2006年度は平日4893人・休日4917人と大幅に増加。その後10年間(2006~2015年)の平均値ではLRT化前と比べて平日で2.1倍、休日で3.4倍にまで伸びた。
2020年3月には、富山駅構内(高架化された駅の下)まで富山港線のレールを延長し、富山駅の南側に路線網を持つ富山地方鉄道の軌道線と接続。この「路面電車南北接続事業」の完成を前に、同年2月、富山地方鉄道が富山ライトレールを吸収合併。これにより富山港線は、実に77年ぶりに富山地方鉄道への「復帰」を果たした。 ■富山港線と「逆パターン」の路線も? このように、富山港線を保有する事業体は、富岩鉄道→富山電気鉄道→富山地方鉄道→鉄道省(後に運輸通信省→運輸省に組織改編)→国鉄→JR西日本→富山ライトレール→富山地方鉄道と、7回も変わっている。
こんなにも事業体が変化した路線はほかにないのではないか。例えば京王井の頭線は開業前も含めると、城西電鉄→渋谷急行電鉄→東京郊外鉄道→帝都電鉄→小田原急行鉄道→小田急電鉄→東京急行電鉄→京王帝都電鉄→京王電鉄と8回変わっているが、これには単なる事業体名の改称も含んでいる。 富山港線の歴史には、さらに興味深い点がある。1943~1944年の間に、富山港線と同様に戦時買収を受けて国有化された地方鉄道は、鶴見臨港鉄道(現・JR鶴見線)や南武鉄道(現・JR南武線)をはじめ、全国で22社(一部の路線が買収された会社も含む)にものぼったが、後に被買収会社に路線が返還された例は、現在までのところ富山港線が唯一の例となっている。また、所属会社(富山地方鉄道)から一度離れた路線が、同じ会社に出戻ったという観点でも珍しい。