開業からの変化が激しい「波瀾万丈」の路線3選 元祖本格LRT路線は77年を経て「元のさや」に
世界初の実用的な鉄道がイギリスのストックトンとダーリントン間で開業したのは1825年。2025年はそれから200年の記念すべき年だ。日本初の鉄道は、およそ半世紀後の1872年に新橋―横浜間で開業し、その後、世界に冠たる鉄道大国となった。 【写真を見る】最初に紹介するのは、紆余曲折を経て77年ぶりに元の鉄道会社に「復帰」した路線。ほかの2路線はどこ? 現在は、ローカル線の改廃問題が大きく取り沙汰される一方、新たなLRT路線が開業するなど、都市交通のあり方にも注目が集まっている。 本記事で紹介する3路線は、時代の変化とともに運営主体や路線長などを柔軟に変化させながら、波瀾万丈ともいえる歴史を歩んできた路線である。その歴史を検証すれば、今後の「鉄道のあり方」を考える上でも参考になると思われる。
■民から官へ、そして77年経て「出戻り」 最初に紹介するのは、現在は富山地方鉄道軌道線の一部として運行されている富山港線(富山駅―岩瀬浜間7.7km)だ。同線は2006年にLRT(次世代型路面電車)「富山ライトレール」に生まれ変わり、本格的なLRT導入の先駆的な事例として知られているが、実は100年におよぶ興味深い歴史がある。 【写真】2020年の「路面電車南北直通」を前に77年を経てかつての鉄道会社に「復帰」したLRTの富山港線。直通運転開始当日の様子
富山港線は、1924年7月、現在の富山港周辺が工業地帯化したことを受け、地元資本の富岩鉄道によって開業。その後、戦時下の1941年12月に富岩鉄道から富山電気鉄道に事業譲渡された後、1943年1月に、交通事業者の乱立防止を目的とする「陸上交通事業調整法」の適用を受け、県内の他の鉄軌道・バス会社を合併して富山地方鉄道となった。 だが、そのまま現在に至ったわけではない。 富山港線は、富山地方鉄道発足直後の1943年5月、「東岩瀬港(富山港)ハ裏日本ニ於キマスル主要ナ石炭荷揚港デアツテ、戦時下益々其ノ重要性ガ加ハツテ」いることを理由に戦時買収を受け、国有化された。