やしきたかじんさん死去から3日で1年 ── 一番弟子・打越元久が語る師匠との思い出
歌というのは「人間の生き様」や
ここまで聞いて、ひとつ思ったことがある。打越は歌手だ。当然、たかじんさんから「歌」について学んでると思うが、なかなかその話しが出てこない。そこで「歌の指導はどんな感じだったんですか?」と質問。すると「たぶん、今までの話しやと『なんの弟子やねん』と思われるかもしれません。けどね、歌については学んでません」という予想外の返答だった。 歌手が歌手のもとへ弟子入りし、歌の指導はなかった? それについて打越は「やしきは『歌は教えるもんじゃない』と言いました」と語る。どういうことなのか? 「なにかといいますと、やしきは『歌というのは「人間の生き様」や』と。『生き様というのは人生のチリやホコリをちゃんと受け止め、歌にすることが相手に伝わるんや。自分になっとくのいく生き様をしてればいける。「俺の生き様を見たらどうですか」』と僕は言われました」と振り返った。発声とかどうやとかは関係ない「生き方」「自分の生き様」が歌ということなんだという。 その言葉を裏付ける光景を打越は何度も舞台袖から見ていた。それは、たかじんさんのコンサートの時の様子だ。歌はレコードにふきこまれている時は、ある意味さらっと聴きやすいように聴こえる。だが、ライブ・コンサート会場で、たかじんさんは常に「本気」そして「命がけ」だったという。
男になって帰っておいで
「やしきは『お客様への感謝』というのを常にもっていて『舞台に上がるのはこわい』といつも言うてはりました。『ヒット曲のない僕に、お金をはらってみにきてくれるという恐怖はすごいよ』と。基本的にシャイでしたから」。この言葉は今もずっと、打越の身にしみているという。 自身のバンドの練習やオーディションへ行く時以外の1年365日、24時間態勢で、たかじんさんとすごしてきた打越。弟子になってから4年後、CDを出すチャンスも巡ってきた。 同時に「外の世界をみてみたい」という思い、自身の父親が亡くなり実家の米穀店をどうするかといったこともあり、たかじんさんに弟子をやめたい旨を申し出た。すると、たかじんさんは「外の世界みたいなら出て行け。ほんで、男になって帰っておいで」と話したという。 1990年、ロサンゼルスへ行きレコーディング。シングル「そのまま」をリリース。消費者金融CMのイメージソングにもなったが、オリコンランキングの最高位は183位だった。 その後、打越は、たかじんさんのもとへ行き、デビューのことを報告。たかじんさんは「ほな帰ってくるか」と言ってくれた。だが打越は「CDを出すのにたくさんの方々にお世話になりました。そちらでお世話になります」と返し、たかじんさんの弟子という生活にピリオドを打った。