やしきたかじんさん死去から3日で1年 ── 一番弟子・打越元久が語る師匠との思い出
「1年というのは、ものすごく早かったです。今はただ、安らかに眠っていただきたいです」──。歌手でタレントの、やしきたかじんさん(享年64歳)が亡くなって、あす3日で1年となる。たかじんさんの1番弟子である歌手の打越元久(56)は、一周忌を前に、ふとそんな言葉を何度も口にした。師匠とすごした4年2か月のことを振り返りながら。
きっかけはコンサートのアルバイトで
兵庫県津名町(現・淡路市)出身。高校までは淡路島ですごし、大阪の大学へ入学後はフォークソング部に入り音楽に熱中。卒業後は外食チェーンの店で弾き語りをするなどしていた。 1986年ごろ、たまたま、たかじんさんのコンサートスタッフのアルバイトへ行く機会があった。「たかじんさんのファンやから、とかではなくて、たまたま行ったバイトやったんです」 そこで、たかじんさんから「君はいつも何をしてるんや?」と聞かれ「歌ってます」と答えると「あしたからウチおいで」と声をかけられた。「これってほんま『ご縁』ですよね。僕が『どうしてもー』といって土下座したとかではなく、自然に声をかけていただいたんです」。それが師匠との出会った瞬間だった。 「おいで」という言葉をもらい、翌日再び打越は、たかじんさんを訪ねた。そこで「君は家賃なんぼや?」と聞かれ、当時住んでいたアパートの家賃「4万2500円」と答えると、たかじんさんから「ほな、それが給料でええか。メシとかは食わしたるから」。当時、たかじんさんはテレビ大阪の深夜番組や毎日放送のラジオなどを担当。歌では「やっぱ好きやねん」を発表したころだった。
たかじんさんの身の回りの世話を全部こなした
弟子となった打越の仕事は、たかじんさんを仕事の現場まで車で送り、自宅の部屋の掃除や洗濯など、身の回りのことをすべてやっていた。「師匠は汚い部屋が嫌いなので、隅々までホコリを取りつつやってました。洗濯が終わったら下着までアイロンをかけてました。ご本人もうまいことかけてはって、とても几帳面な方でした」 当時は、たかじんさんも30代。夜は「北新地」まで送り店にいる間の平均4~5時間は車の中で待ってすごした。「僕にとって新地は『車の中』というイメージですね。ただ、僕はお酒が飲めなくて、やしきは『飲める弟子やったら自分だけ飲んでと気になるけど、そこは気楽に飲みにいけるわ』と言ってました」と当時を振り返る。 また「しゃべり」については、たかじんさんのラジオ番組で関西各地の店を回るなどのレポーターをさせてもらったという。たかじんさんからは「最初の15秒で客をつかめ。大阪で仕事をすんのに、しゃべられへんのはアカン。人を笑かすネタは最低3本持て」と言われていた。さらに「7割の真実に3割はもれ。真実は7なかったらほんまの話に聞こえへんが真実だけやとおもろない。けど3割もったらおもろいから」と学んだ。