「屋根裏部屋つき」のマツダ・ボンゴフレンディは特装車じゃなくカタログモデル!【迷車のツボ】
こうして、オートフリートップに注目が集まりがちなボンゴフレンディだが、クルマそのものは1990年半ばの典型的な5ナンバー背高ミニバンだった。ただし、オートフリートップ付の場合は、全高が5ナンバー枠(2m)を超えていたので、装着されるナンバープレートは排気量を問わず3ナンバーとなった。基本は5ナンバーサイズでも全幅や排気量がちょっとだけオーバーして3ナンバーになることは少なくないが、全高が5ナンバー枠を超える例はめずらしい。 ......と、それはともかく、エンジンは軽トラやハイエースなどの商用車と同じく運転席下にあるが、フロントタイヤを前方に出すことで、当時の乗用ミニバンに求められる衝突安全性や高速安定性を確保していた。 それもあって、最新のトヨタ・ノア/ヴォクシーや日産セレナのようなFFレイアウトミニバンと比べると、ちょっと古臭く見えるプロポーションなのは否めない。しかし、このクラスで完全乗用車設計のFFレイアウトを初めて採り入れたのは、ボンゴフレンディの発売から約1年経過した1996年5月に発売されたホンダの初代ステップワゴンだから、1995年当時としては、ボンゴフレンディのスタイルは当たり前だった。 また、ボンゴフレンディは、オートフリートップ以外にも、冒頭の「レジャー基地」のコンセプトに沿って、いろいろな工夫が仕込まれていた。たとえば、1階の窓(=普通のサイドウインドウ)の電動昇降カーテンも、クルマ用としてはボンゴフレンディが世界初だった。 このコーナーで"迷車"として取り上げるクルマは、通常よりも短命に終わっているケースが多いなか、ボンゴフレンディの場合は2005年11月まで10年以上も生産された。その間の累計販売台数は14万台あまりという。それとほぼ同期間に販売されたステップワゴンの初代と2代目(1996年5月~2005年4月)は合わせて約76万台といわれているから、ボンゴフレンディは正直、人気車とはいえなかった。 しかし、それが販売されていた時期のマツダは極度の経営不振におちいっており、フルモデルチェンジもままならなかったというのが、真実と思われる。ちなみに、1999年のマイナーチェンジではオートフリートップの開閉角度はさらに拡大して、屋根裏部屋の最大室内高も当初より260mm拡大した。売れ行きは地味ながらも、売っている間はしっかり真面目に改良するあたりは、いかにもマツダらしい。 結局、オートフリートップもボンゴフレンディの生産終了とともに姿を消したが、中古車市場を見ると、オートフリートップだけは今もしっかりと値段が残っている。つまり、その価値を知っている人は知っている......というわけで、迷車と名車は、ほんのちょっとツボがずれただけの紙一重なのだ。 【スペック】2001年 マツダ・ボンゴフレンディV6 2500RS-Fエアロ・オートフリートップ全長×全幅×全高:4620×1690×2090mmホイールベース:2920mm車両重量:1790kgエンジン:水冷V型6気筒DOHC・2494cc変速機:4AT最高出力:160ps/6000rpm最大トルク:22.0kgm/3500rpm燃費(10・15モード):7.9km/L乗車定員:8名車両本体価格(2001年6月発売時)279万8000万円 文/佐野弘宗 写真/マツダ