「屋根裏部屋つき」のマツダ・ボンゴフレンディは特装車じゃなくカタログモデル!【迷車のツボ】
連載【迷車のツボ】第10回 マツダ・ボンゴフレンディ 世界初のガソリン自動車が生まれてすでに140年以上。その長い自動車史のなかには、ほんの一瞬だけ現れては、短い間で消えていった悲運のクルマたちも多い。自動車ジャーナリスト・佐野弘宗氏の連載「迷車のツボ」では、そんな一部のモノ好き(?)だけが知る愛すべき"迷車"たちをご紹介したい。 【写真】ボンゴフレンディの屋根裏部屋はこのサイズ。まるで秘密基地! * * * というわけで、今回取り上げるのは、1995年6月に発売されたマツダ・ボンゴフレンディである。ボンゴフレンディのなにがスゴかったかといえば、一目瞭然、クルマに屋根裏部屋がついていたことだ! 開発コンセプトは「家族や仲間のためのレジャー基地」、そして発売当時のキャッチコピーは「遊べる・泊まれるワゴン」だった。 その屋根裏部屋は「オートフリートップ」と呼ばれた。クルマを停車させて(安全のためパーキングブレーキ作動が必要)、天井にあるボタンひとつで、テント付きルーフパネルが電動で"ウィィィーン"と斜めに持ち上がり、最大1360mmの室内高をもつ屋根裏部屋が出現! 屋根裏へのアクセスは1階(=普通の車内)のセカンドシートから、天井に開いた大きなハッチをよじのぼる。屋根裏部屋の床のサイズは、左右1080mm×前後1850mm。大人2人がならんで、それなりにきちんと寝られる空間......とされた。 ボンゴフレンディのオートフリートップで驚きだったのは、それが量産自動車メーカー純正の、通常グレードのひとつとして、正規ディーラーで普通に売られたことだ。専門ショップ製なら、もっと凝ったキャンピングカーが当時もあったし、メーカー純正でも、カスタマイズ子会社による架装キャンパーもなくはなかった。ただ、そうしたクルマは改造車扱いとなって、新規登録も運輸支局(昔は陸運支局)にいちいち持ち込む必要がある。 しかし、普通のグレードとして量産されたオートフリートップは、通常の量産新車と同じ扱いで、同等装備のノーマルルーフ車に対しておよそ30~45万円高という価格も、内容を考えれば手ごろ。まさに、オートキャンプ入門にはうってつけだったのだ。 実際、オートフリートップのインパクトは強く、ボンゴフレンディの発売後、スバル・ドミンゴアラジンや、ホンダの初代オデッセイや初代ステップワゴンの特装車「フィールドデッキ」など、オートフリートップのあやかり商品(?)がいくつか発売された。しかし、これらはどれも屋根裏は手動で持ち上げて展開する必要があったし、クルマも改造車扱いの持ち込み登録だった。 そんなオートフリートップが誕生した背景には、1990年代前半に起こった第一次キャンプブームがあった。一般社団法人日本オートキャンプ協会が発行する『オートキャンプ白書』によれば、1990年代に入って増えはじめた国内のキャンプ人口は、ボンゴフレンディが発売された1995年には1560万人に達した。 しかも、当時のキャンプ業界はイケイケドンドン(昭和用語?)。その5年後の2000年には2000万人に達して、旅行宿泊者数でホテルのそれを逆転する......なんて超強気の予想が、まことしやかにささやかれていたのだ! しかし、現実の国内キャンプ人口は翌1996年の1580万人でピークアウトして、2000年には約1000万人まで減少した。ちなみに、アニメの『ゆるキャン』がヒットして、キャンプ芸人がもてはやされている最近は第二次キャンプブームともいわれているが、国内キャンプ人口は2019年で890万人、翌年はコロナで610万人に減少するも、最近はやっと復調傾向......なんて感じだ。いずれにしても、その規模は1995~96年の約半分! こう考えると、第一次キャンプブームがいかにすごかったかがわかる。