日本最大のスパイ事件を起こし「ソ連の英雄」と呼ばれた…プーチン大統領が憧れる「ロシア伝説のスパイ」の正体
■日本最大の国際諜報事件だが、謎は多い 東京では、再会した尾崎や仏アバス通信の記者、ブランコ・ブケリッチ、画家で米国共産党員の宮城与徳(よとく)、無線技士のマックス・クラウゼンを中核メンバーにゾルゲ機関を構築。 四一年のドイツ軍のソ連侵攻、日本軍の南進決定というスクープをはじめ、多くの機密情報を無線通信でモスクワに送った。 しかし、日米開戦前の四一年十月、諜報活動を行ったとして全員が逮捕された。検挙されたゾルゲ機関関係者は三十五人に上り、内閣嘱託の西園寺公一、衆院議員の犬養健ら大物もいて、日米開戦を控えた政界を水面下で揺るがせた。裁判で死刑が確定し、逮捕から三年後の四四年十一月七日、ゾルゲと尾崎は処刑された。 ゾルゲ事件は日本最大の国際諜報事件であり、今も国際的関心を呼ぶのは、それが激動の時代を背景にし、政治的、思想的色彩が濃い特殊なスパイ事件だったからだろう。 一方で、ゾルゲ事件は多くの謎や神話に包まれてきた。英国のジャーナリスト、ロバート・ワイマントは、「ゾルゲという近代史上まれにみるスパイの生涯は、数々の仮構と歪曲と捏造に彩られている」と書いた(『ゾルゲ 引裂かれたスパイ』)。しかし、ロシア側の情報開示で、真相に近づくことが可能になった。 ■ロシアでは「ソ連邦の英雄」扱い 秘密主義のプーチン体制下でロシアの情報公開は後退したが、情報機関の文書開示は進み、ゾルゲ関係文書の機密も大幅に解除された。そこには、プーチンの思い入れや、旧KGB出身者が中枢を占める政権への関係機関の忖度(そんたく)があるかもしれない。 プーチンは二〇〇〇年に大統領に就任した後、GRUの旧庁舎を訪れた際、セルゲイ・イワノフ国防相らと近くのゾルゲ像に献花したことが知られる。 モスクワのゾルゲ像は、クレムリンから北西約八キロの小さな広場にある。壁から抜け出したゾルゲが両手を外套のポケットに突っ込んで思案する像だ。広場を起点に、「ゾルゲ通り」が北に二、三キロ延びる。 一九六四年にゾルゲが名誉を回復し、「ソ連邦英雄」の称号を受けたのを機に「ゾルゲ通り」と改名された。銅像はゴルバチョフ時代の八五年に設置されたが、建立の決定はその数年前、長年KGB議長を務めたアンドロポフ共産党書記長時代に下されたようだ。