3連敗からの4連勝! 史上最も劇的な日本シリーズの勝敗を分けた「精密機械」稲尾vs.「野性の天才」長嶋の激闘 驚愕の舞台裏
狙いが読めなかった唯一の打者
最大のヤマ場は、後楽園球場での第6戦にやってくる。 西鉄が2対0とリードした9回の裏に、そのヤマ場はやってくる。2アウトランナー二塁の場面で、3番与那嶺要の打球は平凡な一塁ゴロ。試合終了かと思われたが、名手河野昭修にエラーが出て、二人の走者がたまる。ここでバッターは4番長嶋。 「ここ一番という勝負の場面で打順が回ってくるんですからね。ホームランなら逆転サヨナラで巨人が日本一ですよ。なんて強い星の下に生まれた男かと思いましたよ」 三原監督はタイムをとってマウンドへ行く。 「監督の指示は、『長嶋を歩かせて5番藤尾との勝負』でした。でも、『三連敗して一度はあきらめたシリーズやないですか。長嶋と勝負しましょう』と言ってしまった。『おまえがそう言うなら』とまかせてもらえましたが、今度は、『(ホームランだけは打たれないように)外角低めで勝負せい』と。でもね、初戦の第一打席の嫌な記憶があったから、勝負球には内角を選びました」 外角を2球続けて内角を意識させ、勝負は3球目。敢えて長嶋のホームランゾーンである内角での勝負を選択したのだ。 「私の球種は三つ。直球にスライダーにシュート。ボールの握りは全部同じなんです。ボールを放す瞬間に人差し指を意識すればスライダー、中指を意識すればシュート。リリースする瞬間の判断でボールの軌道を変えることができました」 この取材のとき、実際にボールの握りを見せてくれた。人差し指と中指をそろえて指先を縫い目に合わせる通常のストレートの握りだ。 「私は振りかぶったとき、打者の肩を見て、瞬時に投げる球種を変えることがありました。右打者なら、左肩が本塁よりに入っていればシュートに、逆に左肩を引いていればスライダーに。あのときも、長嶋さんの肩を見て、直球の軌道からボール半個内角に食い込むシュートで勝負にいった」 結果はキャッチャーへのファウルフライ。稲尾は長嶋との勝負に勝ち、巨人を完封して対戦成績を3勝3敗の五分に持ち込んだのだ。 しかし、ボールを放す瞬間に、打者が打つ気があるのか、どのコースを狙っているのか判断じ、球種を変えるなんてとんでもない芸当が、本当にできるのだろうか。 「私が漁師の息子だからですよ。小学生の頃から漁を手伝わされ、毎日、舟の櫓を漕いでいたから足腰が強くなって、それで投手として大成したという方がいますが、そうじゃない。漁師の息子だったことでいちばん役に立ったのは、その場の空気の動きや匂いを敏感に感じる能力が身についたことです」 稲尾は、小学校高学年の頃、父と漁に出たある日のことを鮮明に覚えているという。 「その日は天気もよくて魚もよう釣れとったのに、親父が急に『帰るぞ』といって道具を片付けだして、大急ぎで舟を漕げと言う。港に戻ってから、『もっと釣れたろうに』と文句を言ったら、『後ろを見てみい』と怒鳴られた。振り返ったら、空は真っ黒になって大きな波が立っていたんです。漁師は、空の色、風の動き、匂いを敏感に感じなかったら簡単に死ぬんだということを徹底的に叩き込まれました。この感じる力が、野球をやって一番役に立ったことです」 まったく読めない動きで敵に襲いかかる野性と、瞬時に危険を察知してさっと身をかわす野性。この第6戦の最終打席は、究極の野性対決だったのだ。 「このときの勝負には勝ちましたが、このシリーズで長嶋さんを抑えた感じがしないんですよ。初対決の第1戦の第一打席は三塁打、第7戦の最終打席ではランニングホームランを打たれてますからね。結局最後まで長嶋さんの狙いは読めなかった。対戦したなかでそんなバッターは長嶋さんだけでしたね」 稲尾は、その後も順調に勝ち星を重ね、昭和36(1961)年には歴代最高となる42勝をあげるが、登板過多がたたって入団9年目に肩を壊し、選手生命を縮めてしまった。14年の現役生活で、276勝137敗、通算防御率は1.98。 この大投手が、対戦したなかで唯一無二と讃えた長嶋茂雄。アスリートを「常人を超える存在」だと規定するなら、この男こそが史上最高のアスリートだったのかもしれない。 ※この記事は、「ヤングマガジン2003年5月10日増刊 スポ増No.2」掲載の漫画『海童(うみわっぱ) 鉄腕・稲尾和久物語』(画/八坂考訓)の取材ノートを元に構成したものです。 【漫画『海童(うみわっぱ) 鉄腕・稲尾和久物語』を読む】
木暮 三郎