3連敗からの4連勝! 史上最も劇的な日本シリーズの勝敗を分けた「精密機械」稲尾vs.「野性の天才」長嶋の激闘 驚愕の舞台裏
野性の男を封じるためのノーサイン投法
「あのシリーズの長嶋さんとの初対決。後楽園球場での第1戦、1回裏、2死1塁という状況です。私は、基本的にウイニングショットから逆算して配球を組み立てます。このときは4球目、外角低めのボールで三振をとるという組立てで、そこまで外、内、外で2ストライク1ボールと追い込んだ。長嶋さんは内角を意識して、肩を開き気味に構えていました。そこにストライクゾーンぎりぎりの外角低めを逃げていくスライダー。9割9分三振がとれると思った」 ところが、長嶋は完全に裏をかかれ、およいだ姿勢にもかかわらず、へっぴり腰でバットを伸ばし、ライト線への三塁打にしてしまうのだ。 「びっくりしましたね。長嶋さん以外のバッターだったら、あの組立てであの球なら、よしんばバットに当てられても絶対にファウルにしかならない。それを三塁打ですからね。こりゃあ、ひと筋縄ではいかんぞと思いましたよ。それから、どうやって長嶋さんを打ち取るかを必死に考えているうちにどんどんリズムが狂って、安全パイのバッターにまで打たれるようになっちゃった。広岡(達朗)さんにホームランまで打たれてますからね」 この試合、稲尾は4回を投げて3失点、試合は9対2で巨人の勝利。第2戦も落とし(稲尾は登板なし)、第3戦、藤田元司、稲尾の両エースが投げ合い、1対0で巨人3連勝。あとのなくなった西鉄三原監督は、第4戦にも稲尾の先発という苦渋の決断をする。たとえ4連敗となっても、熱狂的な平和台球場の西鉄ファンを納得させられるのは、稲尾の先発しかないと判断したのだ。 開き直りの采配だが、稲尾は初回に2失点、2回に1失点と本調子ではない。誰もがシリーズ4連敗、完敗を覚悟する展開だった。しかし、その裏、味方の反撃で同点となったところで、稲尾はある決断をする。 「そこまで悩みに悩んで来たけど、わかったんだよ、2回の打席で。あの人(長嶋)は何も考えてない。考えてない人相手に考えても無駄。野性の勘といってもいいような感覚で勝負してくるんだから、こっちも感覚で行く。投げる瞬間にバッターの打ち気や構えを見て、コースと球種を決めることにしたんです。三原さんに言って、『ノーサインでいきたいから、キャッチャーを代えてください』って頼んだんです」 意を汲んだ三原は、キャッチャーをレギュラーの和田博実から、キャッチングのうまいベテラン日比野武に代える。リズムを取り戻した稲尾は、3回以降を1失点に抑え、3点を追加した西鉄が6対4でシリーズ初勝利を飾る。 「日比野さんには、『どっしり真ん中に構えて、ボールだけを見ていてください』と頼んで、コース、球種は私が投げる瞬間に決めました」 この試合以降、稲尾&日比野のバッテリーは、緊迫の日本シリーズですべてノーサインの投球という離れ業を演じていたのだ。 第5戦は、0対3の3回から登板し、巨人打線を零封。西鉄打線が、7回に2点、9回に1点をとり試合は延長へ。10回裏、稲尾がホームランを打ってサヨナラ勝ち。6戦、7戦とも稲尾が先発完投して2対0、6対1と連勝し、日本シリーズ初の3連敗から4連勝で日本一に輝いたのだ。 稲尾の第4戦2回までの対長嶋の成績は、7打数1安打2打点と決して打ちこまれているわけではない。だが、絶妙のコントロールと理詰めの配球で打者をうち取る精密機械のような投手は、初めて野生動物のような天才打者と対面し、オーバーヒート状態に陥っていた。広岡(通算打率2割4分)や土屋正孝(通算打率2割3分9厘)、エンディ宮本(通算打率2割4分9厘)といった強打者とはいえないバッターにいいところで打たれ、試合を落としていたのだ。 稲尾は、ノーサインで投げ始めた第4戦3回以降、4試合に32回を投げて2失点と巨人打線を完全に抑え込んでいる。長嶋との対戦も、12打数2安打1打点と4番の仕事をさせなかった。 とはいえ、この4連勝、決してすいすい勝ったわけではなかった。