番組パーソナリティもこなす在阪ラジオPの生き方「コロナの影響はあるけど気づくことも」
この30年ですっかり変わったラジオ業界
30年にわたりラジオ業界に身を置いてきた上ノ薗さんだが、最近では自身が面接にかかわったお笑い好きの若手社員が、昔の自分と同じように音楽番組を担当し、空いた時間に自腹で若手のお笑いライブなどに足を運ぶ姿がうれしいともつぶやく。 この間、ラジオ業界は大きく変わった。30年前は、リスナーから届くリクエストは主にハガキ。補助的なものでファクスがあったが、現在はメールが圧倒的に多い。 音楽番組で曲を20曲流すとしたら、その大半はレコードだった。番組前にレコード室でかける曲を一生懸命探したころが懐かしいという。 「今ではレコードをかけることもほとんどありません。先日、アルバイトのADさんがレコードの針を落としてなにかを探すしぐさをみせて、聞いたら『デジタル表示』がどこに表示されるか一生懸命探してたんです。けど、CDなどで育った世代にとっては無理もありません。僕らは針を落とした瞬間、ストップウォッチを手にしていましたが。今はこうした文化が混在している時期なんですよ」
なってから分かった、プロデューサーは「すごい要」
自身が身を置くAMラジオも状況が変わってきた。ラジオ、テレビの兼営局も、分社化が進み「予算の部分は自主独立でやらなくてはいけない。テレビのお金でなにかできるという感覚はなく、どれだけの予算でよい番組が作れるか、プロデューサーはみんな考えるようになりました」 上ノ薗さん自身、若いころは「ディレクター」という仕事を重んじ「番組を作るのはディレクター」という気持ちが強かったそうだ。 しかし、プロデューサーになり、予算管理などもし、企画立ち上げなどの経験を積むたびに、いかにプロデューサーの仕事が大切かに気づいた。 「今はプロデューサーをやってる人の気分次第で番組が乱高下するんやなというのがすごくわかりますね。やはり船頭ですから、プロデューサーはすごい要やなと重んじてやってます」
プロデューサー&パーソナリティに「行きつくところはそこに?」
現在、上ノ薗さんが担当する番組のひとつ「土曜いそべ堂」では、まるむし商店の磯部公彦さんと共に、自らがパーソナリティとして出演している。 「行きつくところはそこになっちゃいましたね。最初、出演していたアナウンサーさんが降板することになり、磯部さんから『自分しゃべる?』って聞かれて。最初は断りましたが、自然と『そうですか』と言って引き受けてしまいました(笑)」 上ノ薗さんは2019年9月の放送分から出演してきたが、同番組は、27日の放送で最終回を迎える。同番組のSNSによると、同日は主に「思い出話」に花を咲かせるそうだが、こうした経緯もじっくりと聴くことができるかもしれない。