芸歴36年・磯部公彦「まるむし商店」命名のきっかけは横浜銀蝿だった?
芸歴36年・磯部公彦「まるむし商店」命名のきっかけは横浜銀蝿だった?
今年で芸歴36年目を迎える、漫才コンビ「まるむし商店」の磯部公彦(61)。大学の落語研究会時代の後輩、東村雅夫と出会って約40年。なんばグランド花月での漫才のほか、20年以上続く釣り番組の司会や情報番組のレポーターとしても活躍している。最近では趣味のクレイアニメづくりもテレビで特集され、子どもらを対象に教室を開くまでとなった。そんな磯部だが、ここまで来られたのは「偶然の積み重ね」だという。 【映像】磯部公彦がクレイアニメづくりにハマったきっかけと実際のアニメ映像
一度は企業に就職し営業を経験も3年で退職。芸の道へ
磯部は大学卒業後に一般企業に就職し医薬品卸の営業を担当。同期は53人いたが、磯部は最初から大病院の担当となった。しかし、その仕事は磯部がやりたいことではなかった。 「同期は街の開業医などを担当し、医者と直接やりとりをするわけです。僕は大病院担当やから上の人についていくだけで、医者と話すどころか、納品チェックなど書類を書く日々で『しゃべること』ができなかったんですわ。僕は落研出身でしゃべることも好きなので。何度も異動願を出しましたが聞いてもらえず、3年後に退職しました。上司には大変お世話になったんですけどね」 しかし、退職の半年前に転機が。磯部はスーパーマーケットに勤務していた大学の落研時代の後輩、東村と友人の結婚式で再会した。東村も仕事で悩みを抱えていると聞き、磯部は東村に「悪いけどいっぺん、30歳まで一緒に漫才やってみいへんか」と誘った。30歳なら、漫才でもしダメだったとしてもやり直しがきく。そう思い、東村とともに1983年、芸の世界へ飛び込んだ。
「まるむし商店」その名前の由来は「横浜銀蝿」
最初は吉本とは違う別の事務所に所属した磯部と東村。しかし、コンビ名を決めておらず、事務所近くの天神橋筋六丁目の喫茶店で悩んでいた。そんな時、店では当時流行していたロックンロールバンド「横浜銀蝿」の曲が流れていた。 そこで磯部は東村に「銀蝿がええんやったら『まるむし』もおるよな」と提案。それに加え事務所のある天神橋筋六丁目の略称「天六」をつけて「天六まるむし」と命名した。 しかし、事務所側は「天六ではあまりにも限定しすぎている」と指摘。そこで磯部らは考えなおし、その当時に「古くて新しい」という理由から自らの事務所名を「〇〇商会」「〇〇商店」と付けるのが流行していたことに目をつけ「まるむし商店」と名付けた。 磯部はこの命名に「今考えたら変な名前ですよね。ものすごい思い入れがあったわけでもなく。もし喫茶店にいた時、横浜銀蝿の曲を偶然聴いてなかったら、まるむしが浮かばなかったかも」と苦笑しながら当時を振り返った。