近代五種の今昔 ~ミラクル生んだ足跡
今夏のパリ五輪での名場面に、近代五種男子で佐藤大宗(自衛隊)が銀メダルを獲得したシーンがある。長い歴史を持つ競技で、男女を通じて日本選手初の五輪での表彰台。まさに値千金のメダルで世間の関心を集め、マイナー競技の位置付けから日本での普及が進む絶好のタイミングといえる。世界的にも、物足りない人気などにより五輪から除外されるとの臆測が何度も飛び交ってきた。かつて国内での大会を取材した経験を踏まえながら、脈々と競技が生き残っている秘けつやプランを探ってみた。
日本の力結集
近代五種はフェンシング、水泳、馬術、レーザーラン(射撃・ランニング)を1人でこなす。多彩なジャンルのトレーニングが必要で「キング・オブ・スポーツ」と称される。競技の成り立ちに伝統を感じさせる。発案者はクーベルタン男爵。フランスの教育者にして近代五輪の創始者でもある。五輪では1912年のストックホルム大会から行われている。日本勢は1960年ローマ大会で五輪に初出場し、ことごとく世界の壁にはね返されてきた。 佐藤は青森県出身の30歳。自衛隊に入ってからスカウトを受け、競技を始めた。昨年のワールドカップ(W杯)ソフィア大会で2位となり、日本勢の個人初メダルを取るなど成長。五輪には今回、初出場だった。高校まで水泳に打ち込み、ランニングも得意だったが、大舞台での快挙の裏には、さまざまな力添えがあった。フェンシングでは、東京五輪の団体で金メダルを獲得した男子エペの選手たちと合宿を行い、腕を磨いた。馬術では、北海道にある競走馬の牧場を訪れて合宿を張り、五輪を想定して練習を重ねた。 迎えた本番。佐藤は準決勝をB組1位で通過し、8月10日の決勝で堂々の2位。総合力をいかんなく発揮して伝統競技に名前を刻んだ。この偉業に新聞やテレビなど国内メディアはこぞって大々的に取り上げ、一躍〝時の人〟になった。日本の多分野の力が結集しての好結果。佐藤は「皆さんの支えがあって、メダルがある。感謝申し上げたい」と話した。