近代五種の今昔 ~ミラクル生んだ足跡
一昔前の風景
もともと競技の注目度が低いことは否めず、メディアへの露出は少なかった。一昔前の話になるが、記者になりたての頃、1997年3月に東京国際大会を取材した。このときは2日間に分かれており、初日に埼玉県朝霞市の自衛隊体育学校で馬術を除く4種目が行われ、最終日に東京都世田谷区の馬事公苑で馬術が実施された。取材に赴いたメディアは私以外見当たらず、優勝したオーストラリア選手や日本選手に1人で話を聞いて回った。ちなみに翌年の同大会は資金不足を理由に中止となる寂しさも味わった。 また統括団体は現在、日本近代五種協会だが、当時はバイアスロンと一緒で「日本近代五種・バイアスロン連合」の名称だった。東京都内の事務局には普段、常駐者が一名。事務手続きなどを孤軍奮闘でやりくりしていたと記憶している。出してもらったお茶を飲みながら世間話に花を咲かせるような、牧歌的な雰囲気が漂っていた。 国際オリンピック委員会(IOC)会長から、五輪除外発言が飛び出したのもこの頃だった。1997年8月、当時のサマランチ会長がドイツ紙に対して「近代五種は五輪のプログラムから消えることになるだろう。これは確かなことだ」と述べた。昔は1日1種目の計5日間で争われていた。テレビ放映を重視するIOC側の意向に沿うように、その前年に開かれたアトランタ大会から五輪では1日で全部実施する方式に改められたが、人気面が劇的に上向くことはなかった。
努力の跡と中長期計画
それでも、しぶとく五輪に残留してきた要因には、上記のように周囲の要請に機敏に反応して変化してきたことが挙げられる。次回2028年ロサンゼルス五輪からは馬術に代わって障害物レースが採用される。原因の一つは、2021年東京五輪の際にドイツのコーチが馬をたたいたのが問題視されたからだが、人気向上の観点も見逃せない。2022年6月に行われた障害物レースのテスト大会では、TBSテレビの人気番組「SASUKE」のセットも使用された。1997年に放送が始まった同番組は海外でも流され、興味を引いている。IOCが重視する若者への訴求力を持ち、ロサンゼルス五輪では見どころになりそうだ。 日本でも、地道ながら努力の跡が示されている。競技の特性上、選手には自衛隊や警察の所属が多く、裾野の拡大が課題だ。日本近代五種協会が2022年に作成した「財政に関する中長期計画」によると、ジュニア世代から接触する機会を増やそうと、入門版として水泳、レーザーランの「近代三種」の大会を2003年から開催。2017年からは日本中央競馬会(JRA)から助成を受けられるようになり、2021年には年間4200万円の助成金によって選手強化を図ったり、ジュニア世代への体験教室を実施したりしたという。 佐藤のメダル獲得により、テレビなどのメディアへの登場回数が着実に増えた。昔では考えにくかったことだが、競技のPRの面では大きい。馬術から障害物レースへの変更は、競技の始めやすさにつながりそうだ。佐藤はこう希望を口にした。「(障害物レースは)初心者でも取っつきやすいんじゃないかなと思う。どんどん(競技)人口が増えてほしい」。複数の要素が絡み、千載一遇のチャンスを迎えている。
高村収