ウクライナ選手はパリで笑った。戦時下の五輪、祖国に届けた希望 犠牲甚大も「決して諦めない」大舞台で見せた底力
2022年3月4日、北京冬季パラリンピックの開会式で行進するウクライナ選手団に笑顔はなかった。約1週間前の2月24日、ロシアのプーチン大統領がウクライナへの「特別軍事作戦」開始を宣言し、全面侵攻が始まっていたからだ。国の存亡すら危ぶまれる状況で北京にたどり着いた選手の表情は悲壮感に満ちていた。 【写真】ウクライナの最大外国人部隊に、日本人の元ヤクザが 「死んだら死んだとき。もともと犯罪をしていたので、戦争で役に立てなかった方が怖いです」 英語は「まったくダメ」、初めての海外だった… 23年
あれから2年半。いまだに戦争が続く中、ウクライナの140人の選手がパリ五輪に参加した。2021年の前回東京大会を上回る3個の金メダルを獲得し、今なお戦禍にさらされる国民に希望を届けた。 現地の取材で最も印象に残ったのは、ウクライナの選手に笑顔が見られたことだ。開会式の船上パレードで、競技場で、表彰式で―。メダルを取っても険しい表情を崩さなかった北京パラリンピックの選手たちとは対照的だった。一体何が、戦時下のオリンピアンをほほえませたのか。(敬称略、共同通信ロンドン支局 飯沼賢一) ▽もの悲しく響く国歌 五輪・パラリンピック期間に合わせ、武力紛争を控えるよう呼びかける国連の「五輪休戦決議」をロシアは3度ほごにしている。2008年8月8日の北京夏季五輪の開会式当日、ロシアはジョージア(グルジア)に侵攻し、軍事衝突が始まった。ロシアで開催されたソチ冬季五輪直後の2014年3月には、ウクライナ南部クリミア半島に軍事介入し強制的に併合した。
そして2022年。北京冬季五輪直後、パラリンピックを控えたタイミングでのウクライナへの全面侵攻。ウクライナのパラリンピック選手団は家族や知人を祖国に残し、バスで国境を越えた。隣国ポーランド、スロバキア、オーストリアを経てまずはイタリアへ。そして北京に到着した後、ウクライナ・パラリンピック委員会のスシケビッチ会長は「爆撃から逃れてバスで国境を越えた。大会に参加できること自体が奇跡だ」と語った。車いすの自身は、座席で眠ることができずバスの通路で横になった。 この北京パラリンピックで、ウクライナは国別で2位の11個の金メダルを含む計29個のメダルを獲得した。金メダル数とメダル総数、いずれも冬季のウクライナ史上最多となる大躍進だった。表彰式で流れる国歌「ウクライナは滅びず」の歌詞は、争いに勝ち、統治権を獲得するという内容。国家存続の危機にさらされ続けた歴史と、大国ロシアから攻撃を受ける現状に重なった。荘厳だがどこかもの悲しいメロディーに、表彰台に立った多くのパラリンピアンが涙した。