【べらぼう/光る君へ】源氏物語のパロディ本が、江戸時代「最大」のベストセラーになっていた!?
江戸時代に『源氏物語』のパロディ版『偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)』が人気を博していたのをご存じだろうか? NHK大河ドラマ『べらぼう』より後の時代の本ではあるが、「江戸時代最大のベストセラー」と言われるほどヒットした。奢侈禁止令に抵触し絶版することとなるのだが、どのような内容だったのだろうか? ■『源氏物語』のパロディ本が大流行り 江戸時代に、『源氏物語』のパロディ本が発売されて、しかも大ヒットしていたのをご存知だろうか? その書名は、『偐紫田舎源氏』。冒頭に「偐(にせ)」とつくところからもわかるように、『源氏物語』をパクった書であることは明らかである。 作者は、戯作者として知られた柳亭種彦(りゅうてい・たねひこ)。当時は、滝沢馬琴とも並び称されるほどの人気者であった。併せて、絵師・歌川国貞の色鮮やかな挿絵をもふんだんに挿入。実に贅沢な書であった。 その特徴は、『源氏物語』のパロディであるとはいいながらも、独自の工夫が凝らされていた。時代設定も室町時代に変更。その時代に合わせた人物を配置させている。 まず、実在の人物である足利義政が登場。その妾の子が、主人公である。その名は、光源氏になぞらえて光氏としているのも特徴的。将軍職を狙う実在の守護大名である山名宗全を悪役に仕立て上げ、宗全が隠し持っていた足利将軍家の家宝を取り戻すというストーリーである。 最後には宗全一味を葬り去って、自ら将軍後見役となって全盛を極めていくというところは、この時代に流行った「勧善懲悪」物語を意識してのことか。ともあれ、これが功を奏して、人気を博したというわけだ。 ■光源氏のような女遊びは、江戸では許されなかった? 原作である『源氏物語』に登場する藤壺、夕顔、六条御息所、紫の上、葵の上といった女性たちの名は、ここではそれぞれ、藤の方、黄昏、阿古木、紫、二葉の上へと変えられている。しかも、彼女たちの境遇もかなり変えられている。 この両書の最大の違いは、『源氏物語』が、光源氏が義母に当たる藤壺を慕い続け、挙句、あってはならぬ不義密通へと至った様相を包み隠さず語るのに対し、『偐紫田舎源氏』では、そのような不道徳な行動をかなり控えているところだろう。光氏の好色遍歴を記してはいるものの、それはあくまでも敵を欺くための手段としてのものであった。 一夫多妻制で、男女関係にはかなり寛容であった平安時代とは違って、一夫一婦制の江戸時代の道徳観念としては、あまりにも乱れた男女関係を記すことには躊躇するものがあったのだろう。 不義密通など男女とも死罪に処せられていたという時代である。そんな貞操観念に凝り固まった社会通念を踏まえれば、とても光源氏のような乱れた女性遍歴など、許されるものではなかったからである。 ■奢侈禁止令に抵触して絶版 それはともあれ、この書は売れに売れた。あまりにも好評だったため、何と14年にもわたって書き続けられたとか。結局、38編(152冊)もの膨大な書を世に送り続けることになったのだ。 しかし、不幸は突然やってきた。1841年から始まった水野忠邦の天保の改革のあおりを食らって、その翌年に断筆を命じられたからである。挙句の果てに絶版。その直後、柳亭種彦自身までもが命を落としてしまったのだ(自殺説も)。 かつては、徳川家斉の大奥生活を揶揄したためと見なされたこともあったが、おそらくは、あまりにも高価な書(かなり豪華版だったらしい)だったことが、奢侈禁止令に抵触して咎められたからだろう。 ■史実との関わりは? 『偐紫田舎源氏』と史実での足利義政・山名宗全との関係はどのようなものであったのだろうか? これも気になるところである。 絶大な勢力を有していた守護大名・山名宗全が、もともと将軍・足利義政に仕えていたことは史実としても間違いないから、一見は、史実を踏襲しているかに見えそうだ。ただし、『偐紫田舎源氏』の主人公・光氏が義政の妾の子だったというのは史実とは思えそうにない。 義政には、正妻・日野富子との間に義尚なる男子が生まれているが、側室には女子ばかりで、知られる限り男子は生まれていなかったからである。ただ、出自が定かでない女性から一人、等賢同山なる男子が生まれているが、こちらは僧籍とあって、光氏のモデルとはなり得そうもない。ということで、どうやら実在のモデルはいなかったようだ。 物語では、足利将軍の息子が、山名宗全一味を滅ぼして、将軍家安泰となったとしているが、それもざっくりといえば、史実をそれなりになぞっていると言えそうだ。 ともあれ、貴族社会のきらびやかな世界を描いた『源氏物語』とは一転、無骨とも思える武人たちを登場させて、推理小説ばりの手法で話を展開させていることころは見事というべきか。本家である『源氏物語』とは一味も二味も違った推理小説ばりのこの書も、ぜひ読んでいただきたいと思うのだ。
藤井勝彦