<ワン・ゲーム>いざセンバツ交流試合/上 平田・鳥取城北 夏も中止、涙止まらず /島根
厳しい練習を積み重ね、昨秋の県大会と中国大会で躍進。そして今年1月末、山陰から平田(出雲市)と鳥取城北(鳥取市)の第92回選抜高校野球大会への出場が決まった。あこがれの甲子園切符の連絡に、両校野球部員は喜びを爆発させた。だが新型コロナウイルスの感染拡大が始まり、いったん無観客試合を模索したセンバツは3月11日に中止が決まった。両校の特別な春と夏を報告する。【小坂春乃、野原寛史】 【動画】センバツ出場校、秋季大会熱闘の軌跡 待ちわびた春だった。出雲市平田町に根付く県立伝統校の野球部に突出した才能の持ち主はいない。相手打者の特徴に応じた陣形を敷く「攻めの守備」からリズムを作り、少ない好機をものにするスタイルだ。昨秋の県大会で開星など強豪との接戦を制し、中国大会では広島県大会準優勝校を倒してみせた。 戦績に加え、幼児らに野球の楽しさを教える「体験会」などの活動が高く評価され、春夏通じて初の甲子園となるセンバツに21世紀枠で選出。おらが町の野球部の偉業に、平田地区は盛り上がった。 だがコロナは収束せず、センバツ中止。植田悟監督(48)は「夏の県大会で優勝して必ず甲子園の土を踏もう」と選手に語りかけた。体験会で教えた幼児たちに「お兄ちゃん」たちの晴れ姿を見せようと意気込んでいた坂田大輝選手(3年)は「悔しい」とうつむいた。詰めかけた報道陣の前では気丈に振る舞った選手たちだが、部室に戻ると多くが泣き出したという。 さらに5月20日、夏の甲子園までも中止決定。すぐに3年生と個別面談した植田監督は「多くが大粒の涙を流していた」。休校中も自宅近くの公園などに少人数で集まり、黙々と練習を続けていた平田ナイン。その心は折れる寸前だった。 ◇ 鳥取城北の野球部員の多くは甲子園を目指して親元を離れ、県外から門をたたいた筋金入りの球児たちだ。センバツ中止のショックから立ち直りかけた矢先の休校で全体練習ができなくなると、個々の課題と向き合った。不動の3番打者、河西威飛(いぶき)外野手(3年)は、長打力を伸ばそうと、マシン打撃で1日最大500球もの打ち込み。安保(あぼ)龍人捕手(3年)は股関節の柔軟性を高めようと基礎トレーニングを徹底して繰り返した。 「夏の甲子園開催をひたすら願い続けた」という吉田貫汰主将は、その中止決定を受けた記者会見で「ここで終わりたくなかった」。涙が止まらない姿を、山木博之監督(45)は正視できなかった。 その夜の学生寮。3年生たちは「何のためにここまで来たんだ」と苦しい胸の内をぶつけ合った。大半の選手が涙にくれた。