「浮島丸事件」がミステリー化した元凶、日本政府が「ない」と言い続けた乗船者の名簿が見つかった 79年後に開示された資料が語るもの
なぜ、これまで公表してこなかったのか。ますます疑問が深まる。 ▽「訴訟で求められた名簿とは別物」 ないとされていた名簿が、あったということではないのか。厚労省に疑問をぶつけた。社会・援護局調査資料室の回答は、こうだ。 「乗船者名簿とは、戦前の商法により『乗船の際に作成し船に備え置くもの』と規定されています。それは沈没とともに失われているので、乗船者名簿は存在しません」 では、今回開示されたものは何なのか。 「開示したものは、事件後に何らかの調査を経て作成された名簿。表題は同じだが作成時期が違い、別物です」 しかし、浮島丸訴訟では乗船者名簿と「それに類するもの」を請求していた。これは違うのか。 「訴訟で原告側が政府に請求したのは、あくまで乗船の際に当時作成された名簿を指しています。乗船の際に作成され船に備え置くものが乗船者名簿であり、それは存在しないため、それに類するものもありません」
論点をずらす「ご飯論法」のようにも聞こえる。しかも、8月19日や8月22日など、出港前や出港日の日付が記載された名簿もある。これは乗船の際に作成されたのではないのか。 「日付がなぜそうなっているのかは分かりません。しかし事件後に名簿を送ってくれと要請している文書もあるため、事件後に作成された文書だと考えられます」―。 浮島丸訴訟を担当していた外務省の北東アジア1課にも尋ねたが「厚労省にお尋ねを」のひと言だった。 厚労省の回答は理屈が通らないと感じる。訴訟の中で、原告団は「あくまで乗船の際に作成された名簿」という請求はしていない。名簿の類があるはずだから開示してくれと請求している。歴史的公文書に記された日付を、その日に作成されたものだと信じられなければ、何を信じれば良いのか。 繰り返すが、遺族に対し、「70人程度」の乗船者の名簿が失われていたとしてもそれ以外の名簿があったのならば、速やかに公開すべきだった。