「総理大臣が代わる度に『拉致が一番』みたいなこと言われて…」 “特定失踪者”の弟と再会果たせぬまま43年 いまだ生死すらわからず… 政府に求める“拉致問題”本腰の対応
突然、消息を絶った家族の帰りを40年以上も待ち続ける人たちがいます。12月14日、都内で開かれたシンポジウムの会場で映し出されたのは、北朝鮮による拉致被害者の横田めぐみさんの写真。母の早紀江さんは、娘との再会を願い続け、47年の月日が流れました。 北朝鮮による拉致が疑われる人は東海地方にも…。「弟は正義感強いから、反抗でもしていたら処刑されているかもしれないし。生死もわからないですからね」と話すのは、辻太一さん、77歳。“特定失踪者”の弟・與一さんの帰りを43年も待ち続けています。
英語教師の弟が突然…消息不明 特定失踪者の弟を待つ兄の祈り
兵庫県三田市で暮らす太一さんが大切に保管していたのは、20年以上前の日焼けした新聞記事。そこには、弟・與一さんの名前が載っていました。 與一さんは、三重県桑名市の高校で英語教師として勤務していましたが、43年前の1981年12月、突然姿を消したと、勤務先の学校から連絡が届いたのです。 知らせを受けて弟の部屋を訪ねると、こたつの上にはパンの食べかけ、ラジカセか髭剃りの充電器もそのままになっていました。その光景は今でも覚えていると話す太一さん。当初は自殺も疑ったといいます。
しかし、2002年に思いも寄らない出来事が…。蓮池薫さんら5人の拉致被害者が日本に帰国したのです。このニュースを目にした太一さんは、弟が残した持ち物に気になるものを見つけました。 辻與一さんの兄 辻太一さん(77): 「読んでいる本とかメモ帳の日記とかあって、それを見たら朝鮮関係のチラシが入っていたりとか」 北朝鮮との接点をうかがわせる品々。
さらに、與一さんの下宿先の大家は当時、不審な男の姿を三度、目撃していました。入口に立って中に入ろうとしていた男に、大家が「どちらさん?」と声をかけると、「(辻さんの)同僚だ」と答えたといいます。 こうした状況から、與一さんは拉致の疑いが濃厚な特定失踪者として認定されました。
ただ、いまだ生死すらわからないまま。両親が眠る墓に與一さんの名前を刻みましたが、再会の日が来ることを祈り続けています。 辻與一さんの兄 辻太一さん(77): 「北朝鮮で75歳だと、長生きしていられないかもしれないという一抹の不安があるんですけど、あかんと思ったらそれで終わりですから。おやじとおふくろも見守ってくださいとお祈りしている」
進展を見せない拉致問題。拉致議連の初代会長である石破総理は、11月29日に行われた所信表明演説で「拉致被害者やそのご家族がご高齢となる中で、時間的制約のあるひとときもゆるがせにできない人道問題であり、政権の最重要課題です」と、断固たる決意で解決に取り組むと強調しています。 しかし、太一さんは…。 辻與一さんの兄 辻太一さん(77): 「政治家の口癖かなと思っているんです。総理大臣が代わる度に『拉致が一番』みたいなこと言われて。これだけ時間がたっているので」 弟との再会が果たせぬまま流れた月日は43年。政府に求めることは本腰を入れた対応です。