「プラモデルに囲まれて暮らしています」元テレ朝アナ・松井康真が定年後に叶えた″中年オトコの夢″
4部屋にギッシリ
「お邪魔しま……!!」 部屋に入るなり、圧倒的な迫力に言葉を失った。棚を埋め尽くす箱、箱、箱……。大半が1960年代から’70年代に絶版になった、超貴重なプラモデルである。持ち主は、元テレビ朝日アナウンサーの松井康真(やすまさ)氏(61)だ。 【画像】元テレ朝アナ・松井康真の"プラモ愛"がスゴすぎる…!超貴重プラモデル「現物写真」 も…! 「(富山県南砺(なんと)市井波の)実家だけで4部屋にギッシリです。20年ほど前に数えると3000点以上ありました。東京の自宅に保管したモノを合わせれば、把握(はあく)しきれません。テレ朝を定年後は、大好きなプラモデルに囲まれて暮らしています」 プラモ好きが高じ、今年3月には業界の雄『タミヤ』の模型史研究顧問に就任した松井氏。″中年オトコの夢″を叶えた元アナウンサーの、超マニアックな生き様をお届けしよう。松井氏がプラモデルの魅力に引き込まれたのは10歳の時だ。 「親戚のオジサンに、近所のなんでも扱っている『よろず屋』のような店で『好きなのを買ってあげるよ』とプラモデルを勧められたんです。理由は覚えていませんが、私が選んだのは『タミヤ』製のフランスの戦闘機『ミラージュ』と旧ソ連の爆撃機『イリューシン』でした。縮小されたフォルムは実物に忠実。しかも組み立て説明図を見ると、漢字交じりで小学生には難しい解説がビッシリと書かれています。これは子供騙(だま)しでないぞと一気に魅了されました」 松井氏は『田宮模型(当時)』の総合カタログや『タミヤニュース』を取り寄せ、プラモの世界にグイグイ引き込まれる。 「’74年の総合カタログを見ると、同年で生産中止のキットがいくつかあったんです。『大切に取っておかないとマズいな』と感じました。それからです。絶版危機のキットを集めるようになったのは」 ◆地方取材で玩具店回り 松井氏は、ただ古いプラモをコレクトしていただけではない。近所の玩具店を自転車で回り、模型専門雑誌の「これ売ります」欄をチェックし往復ハガキを送って、より貴重なファン垂涎(すいぜん)の「お宝」を片っ端から集めたのだ。 「例えば『タミヤ』の初版キットは、上下の箱を合わせた空間に収まっています。一方、重版以降はキャラメル箱のように入口が開くタイプ。レア感が違うんです。お宝感が出るのは箱だけではありません。スウェーデンの戦闘機『ドラケン』は、プラパーツの色が普通は銀色なのですが、初版にはほとんど見かけない幻の緑色のバージョンもあるんです。私は2種類とも手に入れました」 テレ朝に入社すると『ミュージックステーション』や『ニュースステーション』などの看板番組を経て、プロ野球の実況を担当。キャンプ取材や試合中継で地方に行くたびに、時間を見つけプラモの置いてある玩具店を回った。 「春のキャンプだと、2週間ほどの取材で1日休みがあります。その日はレンタカーを借り、当時はナビなどありませんから、電話帳と地図を頼りに店を回りました。『お宝』を見つけても、いきなり『譲ってください』などと野暮(やぼ)なことは言わない。『これは’60年代に絶版になり今では手に入りませんよね』と、店の人にプラモへの熱意を伝えるんです。ある時、宮崎の模型屋のショーウィンドーで’72年に絶版となった米国のM40戦車、通称『BIGーSHOT』の完成品を見つけました。発見した時は熱心に見ていただけですが、翌年のキャンプ取材で再びうかがうと店主が『去年も来たよね』と覚えていてくれた。そして『近々店をたたむから』と言って、『BIGーSHOT』を譲ってくれたんです。僕の熱意が、店主に伝わったんだと思います」 最近はネットのオークションサイトで「お宝」を落札することも多くなった。ただ、一抹の寂しさもあるという。 ◆あの事故がキッカケで 「お店の人と直接交渉する時には、こちらの熱意を認めてもらわないと入手できませんでした。ネットオークションでは便利な反面、お金さえあれば落札できる。なんだか人情がなくなったような気がして、複雑な心境になります」 松井氏は東京工業大学卒で理系の出身だ。科学の知識と″プラモ愛″は、報道番組でも大いに発揮された。’11年3月の東日本大震災の直後に起きた、福島第一原発の事故である。 「他局は、原子炉の正確なイメージを表現できていませんでした。私は、たまたまネット上で1号機の原子炉建屋の二面図を見つけたんです。『いずれ削除されてしまうだろう』とすぐに保存。複数の原発関係者に『本物ですか?』と問い合わせると『間違いない』とウラがとれたので、この二面図を基にフルスクラッチの原子炉建屋模型を約2週間かけて自宅で作りました。複雑な配管や圧力容器などを忠実に再現した、144分の1のスケールモデルです。デスクに『これは良い』と絶賛され、模型はテレ朝の報道番組でたびたび使われました」 他にも専門誌『世界の艦船』編集長に資料協力してもらい北朝鮮の貨客船『万景峰(マンギョンボン)号』模型をフルスクラッチするなど、松井氏の作る模型は番組に貢献した。 「プラモマニアとして(深夜のバラエティ番組)『タモリ倶楽部』にも、10回ほど出演しました。最後に出たのが『ボウリング・いのしし』や『カミキリ』など、動物や昆虫のB級プラモを専門家たちが愛(め)でるという企画。これが、アナウンサーとしてのラストの仕事だったんです」 ’23年3月に松井氏は定年を迎える。テレ朝から慰留(いりゅう)され、定年延長する選択肢もあった。ただ松井氏には、定年後にやりたいことが二つあったという。 「一つは地元・富山県井波の活性化。もう一つが、公式ガイドブックも執筆し子供の頃からお世話になった『タミヤ』への恩返しです。幸い、交流のある田宮俊作会長から『定年になったらウチを手伝って』と言われていたので快諾しました。模型史研究顧問となった当面の仕事は、この10年ほとんど手つかずの本社(静岡県静岡市)内にある『歴史館』のリニューアルです。『タミヤ』の歴史が散逸しないよう、しっかりと充実させます」 ここまで大好きなプラモの世界に没頭できたのは「妻をはじめ家族の理解のおかげ」と語る松井氏。第二の人生で″プラモ愛″を深化させる。 『FRIDAY』2024年9月6・13日合併号より
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