こんな雰囲気で道長の「望月の歌」が詠まれるなんて… 「光る君へ」視聴者の解釈もさまざま
『源氏物語』の「あはれ」を表現したシーン
水野:「まさに『あはれ』だなと思って望月の歌のシーンを見ていました」というコメントもいただきました。美しさ、悲しさ、「あはれ」すべての意味にとれる絶妙なシーンだと思いました、と。 たらればさん:「あはれ」は本居宣長が指摘した『源氏物語』のキーワードですね。いっぽうで『枕草子』は「をかし」の文学といわれます。「光る君へ」のあのシーンは、たしかに「あはれ」を体現するような描かれ方でした。 本居宣長は「あはれ」は日本文学に通底する基本的な価値観でもある、というふうなことを書いています。多層的な解釈ができる、切なさとか幽玄とかが全部詰まっている言葉であると。大石先生がそれを狙った可能性はありますね。 水野:「台本のト書きを知りたい!」というコメントもありました。脚本にどんな指示が出ていたんでしょうね。 たらればさん:執筆者の「執筆時点の狙い」を知りたい気持ちはわかります。ただ「作者」も、書いた瞬間からもう読者の一人だとも言えるんですよね。作品というものは、見た人の数だけ解釈があり正解がある、ということが、作品世界をより豊かにするんだと思っています。 「わたしは喜びに見えた」でもいいし、「悲しみ」でもいいし、「半々だっただろう」というのでもいいですし。それぞれの読み方、楽しみ方で味わうほうがいいですよね。 水野:どうしても正解探しをしたくなっちゃいますけど、みんなでこうやっていろいろ感じ方を語り合えるっていうのは、それだけ深みがあるから、ということでもありますもんね。 ◆これまでのたらればさんの「光る君へ」スペース採録記事は、こちら(https://withnews.jp/articles/keyword/10926)から。 次回のたらればさんとのスペースは、12月15日21時から。最終回にあわせて、「光る君へ」で印象に残ったシーンを尋ねるアンケート(https://forms.gle/PnCrn2uKnjAnjXKC9)を実施しています。ぜひご協力ください。