こんな雰囲気で道長の「望月の歌」が詠まれるなんて… 「光る君へ」視聴者の解釈もさまざま
広がった「望月の歌」の解釈
水野:リスナーさんからは、「私なりの解釈は、道長は三郎としてまひろに詠んだラブレターだということに落ち着かせることにしました」というものや、かつて廃屋の逢瀬でふたりで見上げた満月の映像がカットインしていて、「お互いの生きる意味を果たそうという約束を道長がようやく叶えた、喜びに満ちた歌に思えてなりませんでした」というコメントもありました。 たらればさん:喜んでいたのかぁ…。なるほど……。 俳優さんってすごいですよね。わたしは「悲しそうだ…」と感じたわけで、つまり視聴者によって真逆の感情がどちらも読み取れるシーンだったわけですよね。 文学作品でも、読みとり方によって正反対に読めるものなどがあるんですけど、いろいろなことを想像させることを演技でやるんだから、改めて、道長役の柄本佑さん、すごいなと思いました。 水野:吉高由里子さんも、ほほえんでいるようにも、悲しんでいるようにも見えて。音楽もライトアップも含めて、どちらにも受け取れる演出でしたよね。 たらればさん:廃屋からの満月がカットインしたのは、「光る君へ」での「望月の夜」は、まひろとの夜であり、3人が后になった夜ってことなんでしょうね。 「満月」ってパーフェクトなものの象徴ですよね。でも「時間がたてば必ず欠けていくもの」でもあります。当たり前ですが。そこに「自分の権勢」を重ねてしまうと、明日から欠けていく、という前提が生まれるわけです。 そこに一抹の寂しさというか、「今は完璧に見えるかもしれないけれど、決して永遠ではないよ」という、「それでも今は、今夜だけは……」という文脈があるはずなんですよね。 水野:ある種の切なさと悲しさが混じる「絶頂」ではあるんだけど、それはまだ言わないで、ということも共有しているんですね。 たらればさん:こんなふうに、喜びと悲しみの表現が同居している表現は、『源氏物語』っぽいなぁとも思いますね。 水野:リスナーさんから、「廃屋でまひろが『人はうれしくても悲しくても泣くのよ』と言いましたよね。今回のまひろと道長の目にも同じものを感じました」というコメントもいただきました。うれしさと悲しさが同居している、というのはずっとそういう描かれ方なのかもしれません。 たらればさん:あー、なるほど、たしかに。ありましたねそのセリフ。うまいなあ。 そのうえで、今回のドラマが放映されたことで「望月の歌」の解釈がだいぶ広がりましたよね。一般的な認識としては「えらそうな道長のイメージで生まれた歌」だったところから、「どうも傲慢一辺倒だったわけではなさそうだぞ……」と。そういうイメージの変遷がすごく面白いです。