中関白家が凋落したからこそ…千年続く〝枕草子のたくらみ〟 権力を失っても輝き続ける「美」
「出世やーめた」と手放せない事情
たらればさん:世の中には中関白家ファンも多々いらっしゃると思いますし、忸怩たる思いで見ている人もいらっしゃると思います。 ドラマが始まる前から想像はしていて、いち清少納言ファンとしては「こういう描き方になるよなぁ」というのが正直なところです。まぁ、そうだよなぁ、と。 水野:残っている資料などから分析すると、そう想定できた…ということでしょうか。 たらればさん:この大河ドラマでは、道長が遠慮がちだけど慈悲深く市井の民を思う政治家として描かれ、道隆がことさら自分の一家の行方しか考えない酷薄な政治家のように描かれていますが、「史実は違いますよ」「ここはかなり大胆な創作ですね」とは言っておきたいです。道隆と道長に、思想信条や政治上の関心事に大きな違いがあったという史料はありません。 水野:なるほど。 たらればさん:その一方で、中関白家びいきのわたしとしては、「道長は運がよかっただけ。身内相手だろうと残酷で意地悪な手も使う人間だし、とりたてて政治的な手腕が高かったわけじゃない」と思いたかったところがあるんです。「思いたかった」という自覚ですね。 でも、道長は働き者だったという記述も残っていますし、人心掌握や行政手腕に優れていたんだろうなぁ…と思える史料もたくさんあって、そういう史料や記録は、…こう、なんというか、中関白家ファンとして薄目で見ていました(薄目?)。その、あえて薄目で見ていたところを、今回の大河ドラマではっきりと見せつけられているよな、と(涙)。 すくなくとも道長は運がよかっただけではなく、父の兼家や兄の道隆がとってきた行政的な手腕や当時の人間関係の機微と仕組みをよく学び、最適解を叩き出し、それにのっとって権力を手に入れたんだろう、と。 水野:道長が年の離れた末っ子で、父の兼家が出世したときにまだ若かったとか、帝の母である姉の詮子さまと一緒にいた時間も長くて、それで取り立ててもらえた、という運の良さはあったんでしょうけど、それだけではない、ということですね。 たらればさん:はい。史料では、道長は今後、(伊周たちの自滅だけでなく)定子さまを追い落とすためにけっこうエグい手を打ってきます。それをどう描いていくかが楽しみ……というよりは泣いたり笑ったりまた泣いたりして見るんだろうなと思います。 水野:ドラマの道長は、出世にまるで興味がないように描かれていますが、現実はそうではないでしょうしね。 たらればさん:ドラマではあまり描かれていませんが、道長にも、定子さまのまわりにも、親兄弟だけでなく、育ててくれた人や使用人がおおぜいいて、当時の貴族はこの人たちを食べさせなければいけないんです。 自分が貴族社会で冷遇されればいまの家族も子孫も冷や飯を食らうし、雇っている人たちはみんな離れてゆきます。自分と一族の浮沈が、少なくとも数十人の人生を大きく左右するので、簡単に「出世やーめた」と放り出すわけにいきません。