「13年たっても頭を離れない」体育館をひつぎが埋め尽くす異様 遺体安置所で納棺し続けた「5代目」、芽生えた使命感 #知り続ける
「仕事への姿勢が変わった」
千葉に戻った後も、海保さんは山田町との関わりを個人的に持ち続けた。友人やお客などから募金を集めるたび、町役場へ届けた。3月11日になると、自社の斎場で慰霊式を行い、現地で撮影した写真を展示。「こんな大変な状況だったとは知らなかった」。訪れた人からそ んな感想を伝えられた。慰霊式は七回忌ごろまで続けた。 「近年は現地を訪れていないが、復興に関するニュースを聞くとうれしくなる」 そして山田町での経験が、仕事への向き合い方に大きな影響を与えたという。 海保さんは当たり前のように家業を継いだこともあり、以前は、葬儀を執り行う者の「役割を立ち止まって考える機会はあまりなかった」。 子どもだった時は、死者に触れる仕事のため周囲から悪口を言われた記憶すらある。その感覚が、震災でのボランティアを契機に変わった。 「けして目立つ必要はないけれど、世の中に必要な仕事だ。大災害や事故で多数の犠牲者が出た時には、自分にやれることをしようと使命感が芽生えた」 その姿勢は、新型コロナウイルスが猛威を振るった時期でも変わらない。感染して亡くなった人を断る葬祭会社も出た中で、松井葬儀社は受け入れ続けた。
教訓を生かした事前訓練「ドライアイスがあまりなくても」
東日本大震災は、災害時の遺体の取り扱いについて、事前準備の必要性を再認識させる契 機になった。 昨年11月15日、大災害を想定した遺体の取り扱い訓練が、千葉県我孫子市の体育館で 開かれた。県と市が主催し、自治体職員や医師、歯科医、警察官のほか、葬儀社でつくる協 同組合など約60人が参加している。 広い館内がブルーシートで区分けされ、検視をする台の並ぶ場所、訪れた人から行方不明 者の特徴を聞き取るブースも設置されている。棺を安置するエリアには簡素な焼香台も用意されていた。いずれも震災の教訓が生かされていた。 会場には海保さんの姿もある。同業者と一緒に、木棺の組み立て方や遺体の扱い方を実演した。実際に被災地に赴いた経験があることは、その場では明かさなかった。それでも、参加者に助言する場面では、物資が限られた震災時の状況が頭に浮かんだ。 「十分な量のドライアイスを使えない場合は、体の中心部に当たる胸や腹部を優先することで、傷みを減らせます」 全員が真剣な表情で海保さんの説明に聞き入っている。