【ガザ危機1年】国境なき医師団で10年以上活動し初めてサインした「承諾書」 あの日の日記に書いた言葉
昨年10月7日、イスラム組織ハマスによる攻撃への報復として、イスラエルによるパレスチナ・ガザ地区への攻撃が始まって1年。いまも攻撃は続き、これまでに4万人を超える犠牲者が出ている。さらに、食糧不足や衛生面の悪化など人びとの生活状況は深刻だ。昨年10月の攻撃後に届いた派遣要請に応じ、11~12月にガザに入った国境なき医師団(MSF)日本の会長で救急医・麻酔科医の中嶋優子さんは、帰任後も取材や講演等で現地の状況を証言し、停戦を訴え続けている。当時の日記をもとに、全10回の連載で現地の状況を伝える。 【当時の写真】ガザの過酷な状況下で働いている医療スタッフに交代に来たよ!と伝えたい * * * ガザ行きが決まった翌日の10月27日、さっそくガザ入りするメンバーとオンラインでブリーフィングした。 ----- 《2023年10月27日の日記》 〈招集がかかって〉 (※国境なき医師団日本事務局の)理事会を朝3時からやっているけど、合間にガザチームとブリーフィングした。 パリのemergency desk(緊急プロジェクト担当者)と、第一緊急派遣チームの整形外科、小児集中治療、薬剤師、麻酔科救急(自分)。選ばれてうれしい。まだ交渉中だけどガザに入れるようになったら速攻で入るらしい。医療器材とか麻酔薬とかないらしい。じゃあ外科医とか自分とか行ってもあんま使えないかもじゃん……と思いながら、でもまだいろいろコーディネーションで医療器材、麻酔薬確保をがんばってるからガザ着くまでにはなんとかなってるかな。ガザで過酷な状況下で休みなく働いている医療スタッフに交代に来たよ! 休んでくれ!と言いたい。いつも9時間勤務で疲れた疲れたと言っているヘタレな日常に慣れてしまった私には想像もできないくらい疲れているんだろうな。早く行きたい。 ----- そして、ガザの招集がかかって2日後の10月28日には荷造りをして、エジプトに向けて出発した。夫のライアンがおにぎりとバナナブレッドを持たせてくれた。 エジプトの首都、カイロに到着したのは深夜。多くの高層ビルも暗くて異様な光景。滞在先のアパートの鍵や情報が全くない。タクシーの運転手は英語が全く通じない。夜中の2時だけど緊急連絡先に書いてあったカイロ事務所の人事担当に電話をし、オフィスの警備員が滞在先アパートの鍵を渡すことが出来ると言われた。スマホアプリの「グーグル翻訳」でアラビア語と英語で翻訳し、鍵を取りに行った。そこから滞在先アパートに入れたのは夜中の3時半。あすの予定も全くわからないなか、ベッドに横になった。