【ガザ危機1年】国境なき医師団で10年以上活動し初めてサインした「承諾書」 あの日の日記に書いた言葉
■各国から集まった7人 ----- 《2023年10月31日の日記》カイロ入りしたチームとブリーフィング。 ガザに入る許可の交渉はハマス、イスラエル、エジプトみんな合意しないといけないから大変らしい。 世界各国いろいろから集まった7人の医療スタッフ。救急医(アイルランド人)、外科医(フランス人)、整形外科医(ヨルダン人)、小児ICU医(イギリス人)、麻酔看護師(フランス人)、薬剤師(エジプト人)、麻酔・救急医(自分)。とりあえずこの7人でだいたいのことに対応できる!というチーム編成らしい。 (中略) (ガザに)行けるかわかんないけどみんなを招集したのは急に行くことになるかもしれないから。 ----- 一度ガザに入ったらいつ出られるかわかんないから本当に入る覚悟があるのかよく考えるように、と言われ、考え直して結局翌日には行かないことに決めたメンバーも2人いた。その人たちの代替メンバーが急遽呼ばれた。 《2023年11月2日の日記から》 午後、危険なところに行くことについての承諾書にサインした。 今までいくつもの国で活動してきたけれど、こうした承諾書を書くのは初めてだった。書かせている側のオペレーションを担うスタッフも「今回が初めて」と言っていた。これはいつもよりずっと危険なんだ、とあらためて感じた。 その日の日記には「これで死ぬなら本望」と書いた。 実際、怖さはほとんどなかった。感覚がおかしいだけなんだと思うけれど、昔から「死ぬときはどうせ運」でいくら気をつけても死ぬ時は死ぬと思っている。普段から交通事故に遭ったり、飛行機が落ちたり、突然病気や心臓発作になるかもしれなくていつ死ぬかわからない。「あす死ぬかもしれない」ということを信じていて、どうせ運命には逆らえないから、そこはじたばたしても変わらないんじゃないかなって思ってる。
■ガザから退避してきたメンバー 《2023年11月3日~11月14日の日記から》 カイロのホテルで、戦闘が始まってから26日間を空爆下のガザで過ごし、退避してきたばかりの白根麻衣子さんに会った。 オペレーションチームからはガザから退避してきたメンバーとは接触しないようにと言われていた。大変な思いをして逃げてきたメンバーにとって、これからガザに入るチームがあるという事実が余計なストレスを与えるのではないか、という配慮からだった。ただ、国境なき医師団日本の会長としても、体制的な問題や改善点があるならば、聞きたいと思った。白根さんは会ってお話することを了承してくれた。白根さんはガザでの状況や経験、そして国境なき医師団としてするべきこと、改善点、力になってくれた在エジプト日本大使館の人たちのことなど、いろいろ話してくれた。 カイロでは毎日のように、荷造りをしてアパートをチェックアウトして車に乗り込んで出発するが、検問所を通る許可を得られずに引き返す、という日々。だんだんと時間だけが過ぎていく。みんなガザに一刻でも早く入りたいのに入れない。でも毎日少しずつガザの国境には近づいていて、11月9日にはラファ検問所から約60キロのアリーシュという小さな町までたどり着くことができた。ここまで来られたのも大ごとだった。ただここからもまた許可待ちの日々が続いた。日記にも《明日こそは!!!》と何回も書いていた。 募集が来た時は、すぐにガザに入れる予定で、11月中旬頃までには活動を終えて帰る予定だったが、すでに11月の中旬なのにガザに入れてもいない。11月末に予定していた学会や、12月上旬の重要な会議もキャンセルするしかない、と覚悟した。ただ、12月中旬からの病院の勤務はさすがに休めない。もともと今年は私はクリスマスお留守番働き組でたくさん連続シフトが入っている。クリスマスに休暇を取る同僚がたくさんいるので交代要員はいない。10月中旬から1カ月間カイロでガザ入りを待っていたチームメンバーも数人おり、彼らのエジプトのビザが切れそうになっていた。そのため一度振り出しに戻るかもと言われた。もうガザに居られる残りの日にちも少なくなってきたのであきらめて帰ろうかと心の準備をし始めた11月14日、最後の最後にダメ元で突撃で行ってみたラファ検問所をついに通過することができた。 ※AERAオンライン限定記事 中嶋優子(なかじま・ゆうこ)/東京都出身。東京都立国際高校、札幌医科大学卒業。日本と米国の医師免許を持つ。日本で麻酔科医として勤務の後2010年に渡米、救急医療の研修を開始。2014年に米国救急専門医取得、2017年には日本人として初めて米国プレホスピタル・災害医療専門医を取得。国境なき医師団には2009年に登録。2010年に初めての海外派遣でナイジェリアで活動し、その後もパキスタン、シリア、南スーダン、イエメン、シリア、イラクで活動。2023年11~12月にかけてパレスチナ自治区ガザ地区で活動した。2017年から米アトランタ・エモリー大学救急部の助教授を務め、24年9月からは准教授職に。