松井秀喜「4球団競合ドラフト」で“指名漏れ”した同級生エースのその後…彼の野球人生は悲劇だったのか?「後悔はいっぱいあったけど…」
引退…その瞬間に感じたのは「安堵感」
プロには行けなかったがピッチャーとしては成長できたし、先の三輪たちがそうだったようにチームメートに恵まれたと思っている。このとき指揮を執っていた監督の鈴木英之は、山口が入社した当初はキャプテンで、上下関係には厳しかったが頻繁に遊びに連れて行ってくれるような兄貴肌の先輩だった。 日本選手権が終わると、山口は鈴木から呼ばれ、こう切り出された。 「もう、引退でいいんじゃないか」 山口が黙って頭を下げる。床に滴り落ちていた雫を見つめていると、心が穏やかになっていく自分を確認できた。 「安堵感です。『もう、投げなくていいんだ』って、解放された気分になりました」 神戸製鋼は最初の約束を守った。 野球を引退した山口は、今も会社に残っている。現在は鉄鋼アルミ事業の工程部門の室長と、責任あるポストに就く。今年で50歳。なかなかの出世である。
「後悔っていっぱいあったと思うんですけど…」
悲劇。波乱万丈。山口の野球人生に見出しを付けるのなら、きっとそうなるだろう。 だからこそ、聞いておきたかった。 もし、高校でプロ志望を表明せず予定通り大学に進んでいたら――と考えたことはあるか? 山口が即答する。 「いっぱい思いましたよ。ドラフトのあとももちろんそうですし、神戸製鋼に入ってからもしょっちゅう思ってました。でもそれって、思うようにいかないことがあると誰だって考えることですもんね。仮に大学に行っていたらドラフト上位で指名される選手になっていたかもしれないけど、プロに行って活躍できるかどうかはわからないわけですし。 後悔っていっぱいあったと思うんですけど、歳をとればとるほど『これでよかったんかな』って思います。神戸製鋼に行ったから今の家族と出会えましたし、高卒で今のポジションって他の会社ならなかなかないんじゃないですかね。やっぱり、出会いって大事ですよね」 人生に正解などない。だから道を間違える。大事なのは、そこで立ち止まって塞ぎ込むのではなく、誤ったとされる道でも、再びしっかり歩み出せるよう舗装することなのである。 山口は、それができた。だからこそ、今の自分を誇れるのだろう。 神戸製鋼で室長の山口には、播磨ボーイズの監督というもうひとつの肩書がある。勤務後や休日にはユニフォームを着て中学生を相手に汗を流すのだと、充実感をにじませる。 「地道に練習することが一番だよ」 甲子園で5打席連続敬遠された怪物を間近で見てきた男が、監督として選手に懇々と説く。そんな自分が導き、彼らが成長できたとわかったときの感動ほど嬉しいことはないのだと、山口は声を弾ませる。 「松井というすごい選手を見てきたこともそうだし、自分なりに『パワーでは敵わないけど、打率なら松井に勝てる』とか、負けず嫌い根性を出しながら頑張ってきたこととか。そういう経験を伝えていきたいですし、選手が思い通りにならないとき何を教えられるかとか、そんな使命感を持ってやっています」 野球で躓く。あるいは人生の岐路で選択を間違えてしまう。そういった状況にあるすべての後輩に山口は、こんな言葉を贈る。 「この世の終わりじゃないよ」
(「野球クロスロード」田口元義 = 文)
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