松井秀喜「4球団競合ドラフト」で“指名漏れ”した同級生エースのその後…彼の野球人生は悲劇だったのか?「後悔はいっぱいあったけど…」
社会人の強豪による争奪戦…選んだチームは?
連休が明け学校が始まると、社会人チームによる山口の“争奪戦”が始まった。 午前中の授業が終わると、昼休みに学校まで来てくれた社会人チームの担当者と面談し、下校してからは自宅で別のチームの担当者と会う。10社以上もの企業から誘いを受けた山口が決断したのは、年の瀬も迫った12月末のことだった。 選んだのは神戸製鋼だった。 自分の意思を監督の山下智茂に伝えると、「ええ!?」と驚かれた。それはそうだ。山口を勧誘したチームのなかには、都市対抗での実績が神戸製鋼よりも豊富で、より好条件を提示したチームがあったからだ。そんななか神戸製鋼に決めた理由は、「最初に来てくれたから」だった。 「なんかご縁を感じたというか。自分がへこんでるとき、最初に来てくれたっていうのも後々考えると恩義に感じましたし、そういう出会いを大事にしたかったんでしょうね」 神戸製鋼に入社した山口は、高卒から最短でプロに行ける「3年」を目標に腕を磨き、自身が大事にする「出会い」によってピッチャーとして成熟を果たすことができた。 バルセロナオリンピックに出場した正捕手の三輪隆(元オリックス)やピッチャーの米正秀(元横浜)から、ピッチングの奥深さを学ぶ。そのことで高校時代に課題としていたコントロールが向上し、バッターに対して強気に攻められるようになった。3年目に入社した大卒キャッチャーの和田一浩(元西武ほか)とも信頼のおけるバッテリー関係を築けていた山口は、チームのローテーションピッチャーとして中心選手となっていた。 結果として3年でのプロ入りは叶わなかったが、「4年目くらいまでは行けるんじゃないか? と思っていました」と語るように、この時点では可能性は残されていた。 そんな山口が自分のピッチングに異変を感じるようになったのは、5年目以降だ。 球速は130キロ台後半ながら、スピンの効いたストレートを投げられていたが、次第に納得できないボールが増えていく。やがて山口は、現状打破のためにピッチングフォームを変えた。やや腕の位置を下げるスリークォーターから始まったフォームは、最終的にサイドスローとなっていた。 「下げた当初はうまくいっていたんですけど、それまでは上から投げていたわけですから使う筋肉もちょっとずつ変わっていくわけじゃないですか。そうなるときつくなるから、また腕が下がる。そうやって楽なほうにいってしまったから、当然のようにいいボールが投げられなくなるっていう」 8年目の2000年。“楽”を覚えてしまった山口の肩が、いきなり悲鳴を上げた。 日本選手権の予選でのこと。このとき中継ぎピッチャーとなっていた山口がブルペンで準備をしている最中、「ブチ」と鈍い音が聞こえたような気がした。その瞬間、肩に激痛が走る。すぐに病院で検査を受けると、ピッチャーにとって生命線とも言える腱板の一部が断裂したことが判明した。 それでも山口は、痛み止めの注射を打ちながらマウンドに立ったという。当時の神戸製鋼が余剰戦力を抱えていなかったこともあったが、なによりも出会いを大事にしてきただけに、誠意を尽くしたかったからである。
【関連記事】
- 【貴重写真】「これ、ホントに18歳?」“貫禄ありすぎ”な高校時代の松井秀喜…広末涼子をエスコート&同期会での卓球シーンも。松井と同期のエース「まさかのドラフト指名漏れ」山口さんの高校時代と現在も見る(30枚超)
- 【最初から読む】松井秀喜“4球団競合ドラフト”のウラ側で…指名漏れした「星稜高のエース」は何者だった? 「『恥ずかしい』が一番」「監督にも挨拶せずに…」
- 【あわせて読む】誰も「プロ野球選手になるなんて思わなかった」 高校ではマネージャー→名門大入試は断念…湯浅京己(25歳)が“下剋上ドラフト”で阪神に入るまで
- 【こちらも読む】ドラフト直後、18歳の松井秀喜が校舎の非常階段で漏らした悲哀 「僕、行かなきゃいけませんかね?」
- 【今年の指名漏れ】「まさか」か「やはり」か…なぜ慶大・清原正吾をドラフトで指名しなかった? 父が所属した3球団のトップを会場で直撃!「それはちょっと…」