「厳しい時こそ、人の逆を」逆境を超えた杉原杏璃、“億り人”の今
やがて、利益も出てきた。「あ、わかってきた」と思ったのは、3年ほど経ったときだ。 「習い事をするのと一緒です。3年くらい経つと、基礎的なことが染み込んでくるんですね。だから、これから始める方も、3年は様子をみながらやってみて欲しい」 ところが、そんな「わかってきた」頃、リーマンショックが起こる。杉原も例外なく煽りを食らった。 「頭を打つことは、何度もありました。JALの経営破綻もかなりきつかったですね。株をナメていたな、と反省して、その都度本気で勉強をし直したんです。本にも書いているんですけど、ここで諦めたらダメ。私は、何がなんでも成功するまでやる、と決めています」
株で儲けて家を2軒建てた
株をはじめた杉原は、明確な目標を2つ掲げていた。1つは家族のために家を建てる、もう1つは自分の会社を立ち上げるということ。 「実家のほうで、家を2軒建てました。地元と東京を半々くらいで行き来できたらいいなと思って生活しているんです。1軒目は29歳のとき、キャッシュで買いましたけど、35歳の時に隣にもう一つ建てて、そちらはまだローンが残ってます」 23歳で株式投資をはじめ、たった6年でひとつの目標を達成したわけだ。なんとも夢のある話ではないか。 「ふつうに仕事をしているだけなら、絶対建てられませんでした。日々の生活と、貯蓄だけで精いっぱいだったと思うので。家族が喜んでくれたことは嬉しかったですね」 20代の後半からは、グラビアアイドルとしての仕事も軌道に乗り始める。テレビでも見かけることは多かったが、人気にあぐらをかくことなく、コツコツと投資を続けていた。
社長、株教えてください!とは決して言わなかった
「グラビアアイドルって、いろんなパーティーに呼ばれるんですよ。とある社長さんに、『アメリカの大統領わかる?』『総理大臣の名前知ってる?』とか言われて。グラビアアイドルはどうせ何も知らずに、そこで笑ってるのが当然だろう、という立ち位置で、それがワンセットなんです。みんなして、『わからないです、教えてくださ~い』って判で押したように笑顔で答えて。悔しいと思っていました」