球界大御所が中日・根尾の投手転向問題を一刀両断…「中日は何をやっているのか。立浪監督は勇気ある決断。重要なのはどう育てるか」
今回の投手転向の決断に対して、さまざまな賛否の声が飛び交っていて球界大御所の広岡氏も決断までに3年もかかったことを批判した。 「何をやっているのかわからない。ショートでプロ生活をスタートしたかと思えば、外野をやりまたショートに戻り、つい最近、投手までやった。野手か、投手か、どちらに素質があるかわからないので、両方をやらせてきて、ここで決断したのであればまだわかるが、ここまでの根尾の3年間は、いったいなんだったのだ。前監督の与田はどうしたかったのか。野手としての根尾は何をしてきたのか。そして打撃部門、守備部門の指導者は何を教えてきたのか。そもそもこういう問題は、フロントが方向性を示さねばならない。今までフロントは何を考えてきたのかを問いたい。たいてい高校時代に投手で4番だった選手がプロの世界に入ってくる。ただ二刀流が通用するほどプロの世界は甘くない。大谷翔平は別格なのだ。二兎を追うものは一兎も得ずということわざもある。野手か投手かの適性を見極めることに3年間もかかっていたことに問題がある」 広岡氏が疑問を抱いたのは、根尾の育成方法が3年間、一定しなかった中日の姿勢だ。まだ大学4年生にあたる年齢。決断するのは遅くはないが、大阪桐蔭高時代には、2年連続でセンバツの優勝投手となり、3年のセンバツでは智弁和歌山との決勝戦で完投勝利するほど投手としても結果を残していた。その根尾の“二刀流”の可能性を眠らせて遠回りさせてしまったことが問題だろう。 確かに根尾は「ショート1本でやりたい」とドラフト後の仮契約の会見で語っていたが、ここまでの3年間を球団は、どう分析、評価してきたのか。結論から言えば野手としてはもう限界だと見切っての投手転向なのだろうが、そもそも球団の根尾の見極めの年数も含めた育成プランが不明なのだ。もし「野手がダメなら投手で」のBプランがあったのであれば、3年間、まったく投手の練習をさせてこなかったのも問題である。