メディアに掲載されない被災地「生活していきたくても…厳しい故郷の“現実”」リアルに発信し続ける 輪島市町野町出身のシナリオライター・藤本透さん
能登半島地震発生から3か月。石川県輪島市出身で東京在住のシナリオライター・藤本透さんの地元、輪島市町野町は実家をはじめとした多くの建物が全壊するという甚大な被害を受けました。復旧や復興を伝えるニュースが増える中で、被災地にはまだまだ支援が必要な地域が多く残されています。メディアにはなかなか掲載されない現地の情報を細かく発信し続けている藤本さんに話を聞きました。 【写真を見る】メディアに掲載されない被災地「生活していきたくても…厳しい故郷の“現実”」リアルに発信し続ける 輪島市町野町出身のシナリオライター・藤本透さん 今回の地震で輪島市では、1万4806棟の住宅に被害が出ました。(3/26現在) 藤本さんの地元である町野町は、珠洲市との境にあり、932世帯、約1900人が住んでいましたが 、震度6強で多くの住宅が倒壊 、今も厳しい避難生活が続いています。 藤本さんの実家は、2007年の能登半島地震で半壊した時に新規に建てたリビング部分を除き、今回の地震で失われてしまいました。また、倉庫には、能登の祭りには、欠かせない「キリコ」がありましたが、倒壊に巻き込まれてしまいました。 ■ 地震発生から3か月~輪島市町野町の今~ 町野町から市中心部へ向かう際の主要ルートである国道249号は、大規模な崩落によって現在も寸断されたままです。隣接する珠洲市へ抜ける道は、トンネルを巻き込んだ大規模崩落で通行止め、能登町と繋がる県道6号も、かろうじて片側交互通行が出来る程度です。 このため市街地への買い出しに通常の倍以上の時間がかかります。輪島市内の多くの店舗は、夕方5時、6時までの時短営業 のため、仕事の事情などで町野町に残って生活する人々は、買い出しをするにしても今も大変な不便を強いられています。住宅の倒壊や道路の崩壊で車が出せないという人もいます。 地震発生直後は、携帯電話で連絡がつかず1月1日の夜遅くに家族から公衆電話で連絡があり、父と母、帰省していた妹の無事を確認。ようやく家族と会えたのは、1か月近くたった1月28日でした。 藤本透さんインタビュー 「発災直前、たまたまつけていたテレビに緊急地震速報が流れ、『少し大きいな』と感じました。すぐに家族に連絡し、『大丈夫だよ』と返信が来てホッとしたのも束の間、2回目の地震が起こりました。珠洲市のライブカメラの映像は、現実とは思えないほどの悪夢のような状況でした。家が倒壊し、電柱が倒れ、津波が襲ってきていました。先ほどまで返信があった家族からも応答はなく、最悪の事態を想像したあの瞬間は、今でも夢に見ます。2007年の教訓からSMSを使って連絡したものの返事もなく、無事を祈ることしかできませんでした。憔悴しきった妹が23時に連絡をしてくれて、怪我もなく無事であることが知れて、本当に有り難かったです。」