私の「グランプリ」回顧 約20年間の現役生活、3度の優勝とターニングポイント 「勝ちたいだけでは勝てない」
【植木通彦 ちょっといい話】 SG第39回グランプリが大阪・ボートレース住之江で開催中。今回は私のグランプリ回顧です。 私は約20年間の現役生活でグランプリを1995年、96年、2002年と3度優勝できました。これはファンの皆さまの応援と家族の支えなどレースに集中できる環境があったからこそです。期待に応えるためには何をどのように取り組めばいいか試行錯誤した結果だと思います。「勝ちたいだけでは勝てないのがグランプリ」だからです。 私は養成訓練時代を通じてずば抜けた成績を残したり格別なレースセンスがあったわけではありません。そんな自分がグランプリで活躍できたのには幾つかのターニングポイントがあったと思います。まずは86年11月の地元・福岡でのデビュー戦です。走り慣れた地元レーサー同士のレースでした。予選は6・4・2・5・4の着順で最終日を迎え、デビュー節での初1着を目指し最後のレースも全力で走りました。そのレースでは2位で航走し3周2マークのラストターンで追いつきゴールは写真判定となりました。しかし、わずかな差で2位でした。 この時、追い上げる魅力とわずかな差で負けた悔しさを強く感じました。同時に瞬時に頭の中でレースをリプレーできあそこの無駄な走りをこうすればよかったなど失敗を次につなげる思考ができました。走りの大事さを知った瞬間です。 次は滋賀・びわこでの初優出です。準優勝戦に出場し優出条件は2位まで。全力で走りましたが結果は3位。しかし、上位の1人が待機行動違反で私が繰り上がり優出となりました。その先輩は「明日は自分の分まで頑張れ」と声をかけてくれました。レースには運も必要だと感じました。 そして2度の大けがからの復活です。最初は愛知・常滑で左腕の骨折。次は群馬・桐生で顔面を75針縫い頭蓋骨の一部を鼻骨に移植する手術を受けました。特に2回目は顔がはれて目が開かないので自分のけがを確認できず不安な日々でした。奇跡的に眼球に異常なく復帰の可能性があると知らされ20年は頑張ると決めて復帰しました。根拠はありませんでしたが20年を刻む砂時計が流れだしたので、目標が決まったからには今を頑張るという気持ちがその後活躍できた要因です。その気持ちは現在進行形です。 この思いをボートレース住之江公式YouTubeの野添貴裕氏(元レーサー)との対談でお話しています。また、ボートレース公式YouTube「植木さんぽ」では住之江の収益を活用した泉大津市に昨年開園したシーパスパーク=写真=などの地域貢献を伝えていますので、あわせてご視聴ください。
■植木通彦(うえき・みちひこ) 1968年4月26日福岡県生まれ。福岡県立博多青松高校卒。86年11月デビュー。2007年7月の引退までSG優勝10回を含む74回の優勝、公営競技初の年間獲得賞金2億円を達成したボートレース界のレジェンド。2018年、初代ボートレースアンバサダーに就任。テレビ『BOAT RACEプレミア』他、ネット放送、イベント、講演会で活躍中。『植木通彦オフィシャルブログ』(二次元コード)でも発信。