泥縄式から一転し、半導体分野への巨額の先行投資を決断 稲盛和夫は京セラの事業変革をどう成し遂げたか?
■ 最初で最後、巨額の設備投資を先行 稲盛は、セラミック多層ICパッケージの量産技術にめどをつけるとともに、多額の設備投資を行った。テープ成形機、パンチングマシン、プリンター、大型還元雰囲気炉、ブレージング炉、自動メッキ装置など、高度で高価な製造設備を競合会社に先駆けて次々に導入していった。 元来、稲盛は慎重な経営姿勢を取り、特に設備投資は先行投資を否定し、受注を得てからの「泥縄式」設備投資を推奨、実践していた。それが一転、巨額の設備投資を先行で行った。これは、稲盛の長い経営史において、最初で最後であろう。 1970年から1971年にわたり、京セラの設備投資額の半分に当たる7億円を、川内工場の多層セラミックICパッケージの量産ラインに投じている。稲盛には、半導体産業の未来への確かな確信があり、その中で京セラがトップを走るという揺るぎない信念があったのである。 しかし、稲盛らしいのは、半導体分野への集中投資を行う一方、全社では「ケチ作戦」と呼ぶ徹底した経費削減策を展開していることである。つまり、組織文化としての健全な経費感覚を維持しながら、経営戦略として半導体分野への挑戦的な集中投資を行っているのである。 1971年の経営方針発表で、稲盛は半導体部品事業について、次のように述べている。「屍(しかばね)を乗り越えていくような苦労を重ねて、やっと軌道に乗りました。現在の生産規模ですと、おそらく世界ナンバー1だと思います」。 京セラは最後発のセラミックメーカーながら、伸びゆく半導体市場で先行する日米の巨大コンペティター企業を凌駕(りょうが)したのである。 その後、さまざまな技術的、経済的変動があったにもかかわらず、半世紀以上にわたり、京セラはこの分野で圧倒的なポジションを維持し続けている。また、この半導体部品部門の確立により、京セラは中小企業から中堅企業に留まらず、大企業へと成長発展を続けていくことになる。 売上2兆円を超えた現在の京セラにおいても、この半導体部品を中心とするコアコンポーネント事業は売上5700億円、利益570億円を誇り、中核事業として京セラの屋台骨を支え続けている。
粕谷 昌志