上皇さま90歳 「平成のお言葉」を振り返る~被災者、平和、社会問題、家庭への思い【皇室 a Moment】
平成最初の大災害は、雲仙・普賢岳の噴火災害でしたが、現地で目に焼き付いているのは、上皇さまが、被災者の中に入られる時は背広を脱いで、ワイシャツを腕まくりして、靴下のまま避難所を回り、膝を折って励まされたシーンでした。
東日本大震災の時は、7週連続のお見舞いが続き、膝をついて被災者を励まされました。そのお見舞いのスタートが、冒頭にご紹介したビデオメッセージです。 ――このように国民の中に入ってお見舞いをされるということには非常に驚きましたが、被災された方もその方を支援する方にまで心を寄せられる姿というのが印象的ですよね。
●1999(平成11)年 即位10年に際しての記者会見 上皇さま:「私の幼い日の記憶は、3歳の時、昭和12年に始まります。この年に廬溝橋事件が起こり、戦争は昭和20年の8月まで続きました。したがって私は戦争の無い時を知らないで育ちました」 ●1993(平成5)年 60歳 誕生日会見 上皇さま:「日光の疎開先から焼野原の中にトタンの家の建つ東京に戻ってみた状況は、現在の東京からは、とても考えられないものでした」 ●1993(平成5)年4月 天皇としての沖縄初訪問時のお言葉 上皇さま:「沖縄県が戦場となり、住民を巻き込む地上戦が行われ、20万の人々が犠牲となったことに対し、言葉に尽くせぬものを感じます」 ●1995(平成7)年 戦後50年の誕生日会見 上皇さま:「戦争の惨禍については、今後とも若い世代に語り継がれていかなければならないと思います」 ●2015(平成27)年 誕生日会見 上皇さま:「軍人以外に戦争によって生命にかかわる大きな犠牲を払った人々として、民間の船の船員があります」「輸送船を守るべき軍艦などもない状況下でも、輸送業務に携わらなければならなかった船員の気持ちを本当に痛ましく思います」 ●2018(平成30)年 最後の誕生日会見 上皇さま:「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」 ――こうした中で、戦没者の慰霊で各地を回られたことも記憶に残っていますね。