「現状で苦情がある訳じゃないのに…」神宮外苑の再開発保留の影でひっそりと進む「日比谷公園」再整備
「大噴水は昭和36年、戦後復興の締めくくりとして作られた平和の象徴です。当初、それも壊され、小さなものにする計画だったようです。大噴水がなくなったら、もう日比谷公園じゃないですよ。 東京都への問い合わせや、都議会への陳情などを続けていく中で、都は『外形は変えません、ほとんど分からないようにします』と説明が変わりましたが、実際にどうなるかは分かりません。 また、日比谷公園の名物の一つに『思い出ベンチ』があります。これは一般公募により、1脚15万~20万円で寄付を募り、ベンチの背にはめ込んだプレートに寄付者のメッセージが刻まれたものです。公園の至る所にありますが、第二花壇周りのベンチは全て壊されました。 一応プレートだけは返却するか、どこかに展示するそうです。プレートには戦争体験や日比谷での勤務体験などが刻まれたものがあり、寄付者の格別の思いや歴史背景が伝わります。まさに日比谷公園の価値をあらわすものなのに、最初に壊すとは、痛ましいし、再生整備の目的を疑います」 ◆あれもこれも壊して、作られるのはひたすら芝、芝、芝…… ちなみに、「愛する会」が昨年5月に開示請求し、7月に開示された設計図で分かったのは、以下の内容だった。 ・公園の地割は踏襲するが、各ゾーンを大幅に変える ・「大噴水」は撤去、小規模な噴水をつくる ・「小音楽堂」は取り壊し、噴水広場と同じ高さに小型化してつくる ・「テニスコート」と「陳列場」の一帯を壊して撤去、「球技広場」をつくる ・全体を7区に分け、順次実施設計と工事をしていく、など。 この計画では、「草地広場」が「大芝生広場」に、テニスコートも小高い丘「三笠山」も全部なくなり、「芝丘広場」になり、第二花壇もやっぱり「芝庭広場」になるという設計図だった。草木を伐採して、あれもこれも壊して、作られるのはひたすら芝、芝、芝……。 このような大改造に対し、市民からの批判を受けて、再生整備が見直される可能性はあるか? と聞くと、愛さんは言う。 「私たちにも分からないんです。日比谷公園開園130周年となる2033年を目標に10年がかりで工事するといって、工事の全貌をいっぺんに出さず、エリア別のスケジュールを小出しにしてきているだけですから。東京都にいくら説明を求めても、まだ固まっていないといいます」 第二花壇はすでになくなり、今年から来年にかけて「大噴水・小音楽堂周辺」が、さらに来年には「大音楽堂(野音)」「有楽町側デッキ」「公会堂」の工事が始まる予定だが、いずれも詳細は不明だ。 「日比谷公園は、公会堂前から小音楽堂に至る広大な空間と方向性を強く意識させる美しい景観(ビスタ)が、ヨーロッパの庭園を思わせるんですね。 でも、工事によって段差をなくし、バリアフリーにするそうです。そうなると、古くからある石段も古い水飲み場も全部壊すのでしょう。小音楽堂は、もともと自衛隊の音楽隊などが演奏によく来ていて、無料で誰もが音楽を楽しめる民主主義を感じる場所でしたが、それもなくなるかもしれません。 都は、公園のアップデートで、より多くの人が使えるようにすると説明しています。では現状に対し、どんな不満や苦情が来ているんですか? と聞くと、具体的な回答はないのです」