「スラムダンク」影響で「先生、バスケ部やろうや」念願の監督に…床にガムこびりついた体育館の片隅で練習
福岡・福岡第一高の男子バスケットボール部は、インターハイ(全国高校総体)で4度、ウインターカップ(現・全国高校選手権)で5度の優勝を果たした強豪だ。「勝ちながら、いかに心を育てるか」。1994年の創部以来、チームを率いてきた監督の井手口孝さんは、今もコートで生徒に寄り添う。 【写真】ウインターカップで優勝を決めて喜ぶ福岡第一高の選手たち(2023年12月29日)
福岡第一高男子バスケットボール部の創部は、1994年6月1日だ。年度の初めから少しずれているのには理由がある。
系列の短大を経て福岡第一高に勤め始めても、思うようにバスケにかかわれない日が続いた。当時、男子バスケ部はなく、同高への転職を誘ってくれた女子バスケ部の監督から指導を任せられることはなかった。
そんな状況を切り開くきっかけとなったのが、同高独自の「パラマ塾」と呼ばれる授業だった。個性を伸ばすため、スポーツや音楽などに取り組む時間だ。90年に連載が始まった漫画「スラムダンク」の影響もあり、競技の人気が急速に高まっていた。94年にバスケットボール・パラマを開講してみると、100人近い受講者が集まった。
ある時、生徒が声を上げた。「先生、バスケ部やろうや」。校長に掛け合い、創部が認められた。
念願のバスケ部監督になったものの、順風満帆とはいかなかった。強豪の女子バスケ部が専有していた体育館とは違い、バレーボールやバドミントン部とともに使う体育館は汚れ、捨てられたガムがこびりついていた。本格的に指導を始めると、100人近くいた部員は一気に減り、1年後には女子マネジャー2人を含む7人になった。
学内の部を見る目は当初、温かくはなかった。「うちのバスケ部に、どうせ男子は来ん」。心ない言葉を耳にしたこともあったが、残った部員は前向きに練習に励んだ。全員でへらを使って体育館の床についたガムを取り、練習では片隅しか使わせてもらえなくてもフロア全体を掃除した。
2年目以降、実力のある選手たちが入ってきた。「必ず強いチームを作るから」。出番の減ったメンバーに井手口さんがかけた言葉を、1期生の徳永純さん(46)は覚えている。徳永さんは「厳しかったけど、先生は約束を守ってくれると信じられた」。
創部5年目の98年、男子バスケ部はついにインターハイ初出場を果たした。もがいた日々は、草創期の「約束」を果たすための戦いの連続だった。