高橋和也インタビュー 音楽と俳優、二つの道を歩みながらクセの強い役をナチュラルに記憶に残る演技で魅せる『怨泊 ONPAKU』
――『そこのみにて光輝く』(2014)の演技も素晴らしかったです。あの役も凄く嫌な役でしたね。 めちゃくちゃ嫌な奴です。 ――でもその演技が本当に素晴らしくて、高崎映画祭最優秀助演男優賞を受賞されました。更に昨年は『白鍵と黒鍵の間に』(2023)にも出演されて、ギタープレイをする高橋さんでしか【三木】役は出来なかったと思います。 冨永監督がキャスティングして下さいました。僕は冨永監督とご一緒するのは、あの映画が初めてだったんです。【三木】はジャズギタリストなんですが、僕が普段弾いているカントリーギター(アコースティックギター)やエレキギターなどとは、まったく違うスタイルなんです。ジャズギターは本当に難しくて、自分で先輩のミュージシャンにお願いして教わりました。だから、ジャズギターの演奏ばかりを気にしていたんです。芝居に関しては調子のいいキャラクターだったので、苦労することはありませんでしたが、ギター演奏は本当に苦労しました。 ――冨永監督は演奏者の手元もきちんと映されていたので、本当に素晴らしかったです。 池松(壮亮)君は本当に1曲まるまるピアノで弾いているからね。 ――「小学校の頃に少しピアノを弾いたことがある」と池松さんからお聞きしましたが、それであそこまでの演奏を披露するとは凄いし、感動しました。 凄かった、ビックリしたよ(驚)。池松君が本当に弾いているから、皆が一瞬唖然としたんだよね。“これはヤバイ!本気でやらないと駄目だ”って思ったし。クリスタル ケイちゃんの歌も良かったよね。 ――そうなんですよね、演技でも音楽を堪能する作品でした。高橋さんは、1988年に「男闘呼組」でデビューされてから芸能活動を長く続けていらっしゃいます。今の時点で、俳優活動とアーティスト活動、それぞれご自身の中ではどのような気持ちで挑んでいらっしゃるのですか。 10代の頃から俳優活動、アーティスト活動と両方する形でスタートしたので‥‥。ロックバンド活動、それにバラエティにも出たし、ドラマや映画にもたくさん出演させてもらいました。それに舞台もやらせてもらいました。そういう意味では常に演技者とミュージシャンという道が、自分の中にありました。 グループ活動休止後は、一旦は俳優の方に完全にシフトして“俳優としてちゃんと仕事が出来るようになろう”と頑張った時期がありました。でも音楽は捨てられなかった。音楽で自分を表現するということを辞められなかったんです。それでコツコツと俳優の仕事の合間に曲を作ったり、バンドを作ったりして、辞めずに続けていました。 これまでバンドもかなりの数を作ってきて、40歳を過ぎたあたりでカントリーミュージックに目覚めてしまいました。元々父がバーをやっていたので、その父の店で聞いていた音楽を凄くやりたくなって、カントリーミュージックを始めたら、もの凄く奥が深くて。ハンク・ウィリアムズというシンガーの歌だけを歌うという活動を10年間ぐらいしました。そうしたら男闘呼組の仲間たちと「もう一回、皆で会おう」という話が出て、そして1年間限定の再結成となりました。 ――男闘呼組は、アイドルだけどロックバンドで「本物だ!」という印象を強く持ち、興奮したことを覚えています。当時、男闘呼組のようなスタイルはあまりなかったので新鮮でした。 僕らの時代は丁度バンドブームで、今思うとたくさん素晴らしいミュージシャンの先駆者たちが居たので、僕らも少年時代に彼らに憧れて「彼らのようになりたい!」と思って一生懸命やっていました。それが今55歳になって、皆でその頃に見ていた夢をまた一緒に追いかけることが出来ることに“こんな人生ないな”って思うぐらい、幸せなことだと思っています。