岸谷五朗「19歳で三宅裕司さんの劇団に入団。夜中のサンドイッチ工場や解体工事、あらゆるアルバイトをしてレッスン費を稼いだ」
演劇の世界で時代を切り拓き、第一線を走り続ける名優たち。その人生に訪れた「3つの転機」とは――。半世紀にわたり彼らの仕事を見つめ、綴ってきた、エッセイストの関容子が聞く。第35回は俳優の岸谷五朗さん。2024年の大河ドラマ『光る君へ』で、主人公・まひろ/紫式部の父・藤原為時役で注目を集めています。岸谷さんは、幼少期に劇団四季の舞台を観て「僕はあっち側へ立とう」と演劇に興味を持ったそう。大学入学後、三宅裕司さん主宰の劇団スーパー・エキセントリック・シアターの入団オーデションに合格、そこから俳優人生が始まって――。(撮影:岡本隆史) 【写真】映画デビュー かつ主演した『月はどっちに出ている』 * * * * * * * ◆「僕はあっち側に立とう」 舞台俳優からスタートして、ディスクジョッキー、そして映像の世界へと、限りなく進展を続ける岸谷五朗さん。映画『月はどっちに出ている』(1993年)で広く世に知られるようになったと言えるが、私が最も強烈に印象づけられたのは、NHKドラマ10『八日目の蝉』(2010年)。小豆島の孤独な漁師役の、さまざまなことを物語るその深い眼差しだった。 その後、NHK大河ドラマ『江~姫たちの戦国~』(11年)の豊臣秀吉、『青天を衝け』(21年)の井伊直弼、そして『光る君へ』(24年)のまひろ/紫式部の父・藤原為時役で注目を集めている。 また自らの演劇ユニット・地球ゴージャスの30周年記念公演『儚き光のラプソディ』を東京、大阪で、と大活躍が続く。 まずはどんな少年時代だったのだろうか。 ――何をやってもすぐ器用にできてしまう子供だったんです。バスケットボール、ドッジボール、サッカー……でも、何でもすぐに人よりもできちゃうタイプの子供って、何やっても続かない。言うなれば飽き性なんですね。
そんな僕が小学生の頃に、母が舞台に連れて行ってくれたことがあるんです。劇団四季の『イエス・キリスト=スーパースター』(後に『ジーザス・クライスト=スーパースター』)の初演、会場は中野サンプラザ。 鹿賀丈史さん、市村正親さん、久野綾希子さん(当時は久野秀子)、沢木順さんといった方々による、日本初演のミュージカル……じゃなくて《ロックオペラ》と言ってた頃です。 これは後世、浅利慶太氏の代表作になるんですけど、ジャポネスク版で、隈取りなんかをして。市村さんも鹿賀さんも、みんな駆け出しの若手で、エナジーしかないみたいな。そんな演劇にいきなり出会ったんです、幼き頃に。結果、僕はあっち側へ立とう、とその時思ったわけです。 その頃は家が貧しくて、母は姉と僕を劇場に入れてくれて、自分は用があるからって中には入らなかったんです。いま考えるとやはりチケット代のことがあったんでしょうね。 母は本当に演劇が大好きなんです。今も健在で、僕の一番のファンです。20代の頃からのひどかったかもしれない僕の芝居を、全部褒めてくれてましたからね。
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