「自分にハンデがあるとは思わなかった」──「耳の聞こえないデザイナー」がつなぐ、ろうの世界と聴の世界
直樹さん本人にとっては、懐かしくはあるけれど、子どものころの記憶の一つにすぎない。 「放送部に入ったのも、自分にハンデがあるとはまったく思わなかったんです。自分は目立ちたがり屋なので、機械を通じて学校全体に何かを伝えることがおもしろくて、自分の声で話してみたいと思ったんじゃないかなと思います」 社交的で明るい直樹さんには、保育所から一緒の友だちと過ごせる通常の学校が合っていた。 そんな直樹さんでも、中学進学を機に和歌山ろう学校へ進み、自分と同じ聞こえない友だちがいて、聞こえないことへの配慮が当たり前にあり、先生がみんなちゃんと目を見て話してくれる環境に安心感を覚えたという。 もともと絵を描くのが好きで、高等部では美術活動に熱中した。ポスターや油絵のほかに、ストップモーションアニメーションにも挑戦し、根気強く作品をつくっていった。 美術を指導した迫間ゆみこ先生は、音楽を入れたいという直樹さんのリクエストで、絵と音楽のタイミングを合わせたりする部分を手伝った。下校時間を過ぎても作業に集中する姿をよく覚えている。 「諦めないんですよね。新しい表現方法を取り入れることにも積極的だし、とにかく完成させる、やりきる力は抜きんでていたと思います」
聞こえないことはマイナスじゃない
厚生労働省の統計によれば、聴覚に障害のある人はおよそ30万人いる。そのうち日本手話を母語とするろう者はおよそ6万人と推定されている(「日本手話母語話者人口推計の試み」市田ら、2001年)。近年は、医療技術の進歩で人工内耳が増えてきて、国内の手術件数は累計でおよそ1万5000件に達する。通常の学校を選ぶ子が増え、ろう学校の数も、生徒数も減っている。迫間先生はこう言う。 「幼稚部に来てた子どもさんが、一般の小学校に行きたいといってそちらに入学することはよくあるんです。ただ、学習内容に抽象概念が入ってくると、どうしても言葉がすっと入ってこないんですね。結局、わからないのにわかったふりをしてしまう。聞こえないお子さんには、勉強についていくのがしんどいと感じ始めたら、一回ろう学校においでって思います」 「私の主観ですが、日本語圏の人と英語圏の人とで性格が違うように、ろう者もちょっと違うように思います。子どもたちが手話で話すのを見ていると、ぱんぱんぱんと言いたいことを言い合って、内容を誤解していても、誤解が解けたら『そうやったんか、あはは』で流すみたいな、さっぱりしててあとを引かないんです。それに、手話を使っている人数が少ないからか、結束力が高い。都市部以外では生徒数が減って、ろう文化の継承もなかなかできなくて。それは寂しいところがありますね」