「自分にハンデがあるとは思わなかった」──「耳の聞こえないデザイナー」がつなぐ、ろうの世界と聴の世界
パソコンを買い、インターネットで情報を探した。そして、「聴覚障害児と共に歩む会・トライアングル」(現トライアングル金山記念聴覚障害児教育財団)という団体を見つけた。同団体は「聞こえない・聞こえにくい子ども・本人、その家族、医者や教育者などの専門家、三者で子どもを育てていきましょう」とうたっていた。「その活動がすばらしいなと思ったんですよ」(禎子さん)。拠点が東京だったので、大阪で活動するグループを紹介してもらって、集まりに参加するようになった。 「そこで、例えば大阪だったら普通の幼稚園に行きながら通える『ことばの教室』というのがあったり、小学校では普通の学校に難聴学級があったりするのを知ったんです。でも和歌山にはなくて」 悩んだ末に、ろう学校の幼稚部をやめて、地域の保育所に入れた。保育所は直樹さんのために加配保育士をつけてくれた。 「保育士さんも熱心で。保育所に指文字のポスターを貼らせてもらったりもしました。そうしたら、子どもはやっぱり柔軟で、すぐに指文字や簡単な手話を覚えてくれたんですよ。それで直樹も溶け込んでいったように見えました。でも一回、『みんなの言っていることがわからない』って泣いたことがあったんですって。お弁当を食べているときにみんな一斉にしゃべるから、わからなかったみたいで。そういうことも、先生が毎日ノートで伝えてくれたので、心配はしていなかったです」
口話教育と手話による教育
禎子さんは、当初こそ一人では抱えきれないしんどい思いをしたが、「でもすぐ立ち直ったんです」と笑う。禎子さんを勇気づけたものはなんだったのか。 「やっぱりろう学校へ行って、そのときの先生にすごくサポートしてもらったからやと思います。『ろう教育とはこういうものですよ』『言葉はこうやって獲得していくんですよ』ということを教えてもらって。『そうなんだ、まず言葉なんだ』と思ったんです」 地域の保育所に移ったあとも教育相談に通い、小学校に入学してからは週1回の通級指導は欠かせなかった。今でもよく覚えているのは「言葉のプールに浸けましょう」と言われたことだ。 「聴覚障害児の家に、たくさん言葉の札が貼ってあるのを見たことありません? あれです。聞こえない子のお母さんお父さんはまず、『言葉だらけにしていたら、そのうちに急にぶわーっとあふれ出しますよ』と言われるんです」 しかし「そのうち」を待つのが難しい。聞こえないのは私が悪いんだと自分を責めたり、他の子と比べて焦ってしまったりする母親もいる。