ポーティスヘッドとベス・ギボンズを今こそ再考 幽玄を歌うカリスマの歩みと新境地
ソロワークで追求する「アコースティックの実験」
ギボンズは『Portishead』の5年後の2002年にソロ・アーティストとして初めてのレコード『Out of Season』を発表した。ラスティン・マンこと元トーク・トークのポール・ウェッブとの共同名義で制作され、アトリーや元トーク・トークのリー・ハリス、ペンギン・カフェ・オーケストラのギャヴィン・ライトらが参加したほか、ギボンズ自らプロデュースも手がけた作品だった。 『Out of Season』は、しかし当時、ポーティスヘッドのリスナーの間でも少なからぬ賛否を呼んだ作品だった。なぜならそれは、音楽のスタイルやアプローチ、それらが醸し出すフィーリングなどさまざまな点で『Dummy』や『Portishead』とはかけ離れたものだったからだ。ヒップホップのビートやビンテージ・サンプルの代わりにホーン・セクションやストリングスのオーケストラを含むビック・バンドを従えた“スタンダード”然としたサウンドは、彼女が崇めるビリー・ホリデイやニーナ・シモン、あるいはサンディ・デニーのレコードへの憧憬を窺わせながらも、突き放した言い方をすればていよくウェルメイドなジャズやフォークなレコードといった印象が先立ち、ポーティスヘッドの記憶がまだ鮮烈に残るなかにあってそれはどこか緊張感を欠いて感じられたものだったように思う。また、ゴスペル・コーラスを引き連れて歌うギボンズのボーカルも、取り返しのつかない悲劇を思わせた「Road」や、感情の深淵と絶頂を行き来する「Over」、威嚇するように舞い上がる 「All Mine」に魅せられた耳には物足りなさを拭えなかった、というのも大きい。 ただ、それからしばらくして――ポーティスヘッドの『Third』をへて『Out of Season』をあらためて聴き返したとき、それは大きく印象を変えて聞こえたことを思い出す。過去の作品と比べてギボンズが曲作りに積極的に関わったという『Third』には、『Out of Season』で彼女が築いたものの居場所があり、翻って『Out of Season』は、いわば『Third』でポーティスヘッドが変化を遂げるうえでの“触媒”であるようにも感じられた。「Magic Doors」のサックスとドローンが突き裂くロッカバラード、「Hunter」の不協和音に宙吊りされたアシッド・フォーク、そして「Deep Water」のウクレレを爪弾くララバイ――容赦のない音が飛び交う『Third』にあってしかし、ギボンズが立ち尽くすように歌うそれらの場面は、そこだけ時間の流れが留め置かれたような『Out of Season』の悠然とした印象をオーバーラップさせるものだった。あるいは、『Out of Season』のラストに置かれた「Rustin Man」の抽象的なサウンドスケープは、バーロウとアトリーが「ドゥーム/ドローン」を持ち込んだように、ベスにとっての『Third』への導線となる、“新しい何か”の予兆のようにも聞こえる。 かくして『Out of Season』から時が流れること22年、ポーティスヘッドの『Third』を挟んでリリースされたベス・ギボンズの新しいアルバムが『Lives Outgrown』になる。ソロ名義ではこれが“デビュー・アルバム”となる作品で、ギボンズとの共同プロデューサーとしてジェームズ・フォード、さらに『Out of Season』にも参加した元トーク・トークのリー・ハリスが迎えられている。なお、5年前にポーランド国立放送交響楽団と共演したライブ・アルバム『Henryk Górecki: Symphony No. 3 (Symphony of Sorrowful Songs)』がリリースされたが(制作は2014年)、ギボンズによる純然たるオリジナル作品としては『Lives Outgrown』が2作目となる。 プレスリリースには、ギボンズと一部共同で作曲も手がけたハリスのふたりが曲想を固める過程で、いわく「ウッディなサウンド」を求めて作業を進めていった様子について触れられている。今回ギボンズは「これ以上スネア(ドラム)は使いたくなかった」そうで、ブレイク・ビーツに代わる新たなドラム・サウンドを求めていたところ、スタジオ内で偶然蹴ったダンボールの音にヒントを得て「変わった音がするものを探していった(ハリス)」結果、最終的にパエリア皿、金属板、ミキシング・デスクの一部、牛革の水筒(スネア)、カーテンの詰まった箱(キックドラム)で組まれたドラム・キットが出来上がったのだという。演奏の際には高音を抑えるためティンパニーのバチが使われたそうだが、こうしたエピソードが物語るように、『Lives Outgrown』ではチェロやヴィオラを始めとしたストリングスやブラス類に加えて、ハンマー・ダルシマー、ヴィブラフォン、ペダル・スティール、ミュージカル・ソー、フルートやクラリネットなどの木管、中国琵琶といった多彩なアコースティック楽器が使われているのが特徴だ。そして、そうした楽器のセレクトにも表れた“ウッディ”なテクスチャーの探求は、荘厳なアヴァン・フォークの「Tell Me Who You Are Today」で幕を開ける今作のサウンドの基調になっているといっていい。 ギボンズ、ハリス、フォードの3人を軸に、数名のサポート・プレイヤーが曲によって流動的に入れ替わる『Lives Outgrown』の演奏は、ビッグバンドを擁した『Out of Season』と比べるそのスケール自体はミニマムといっていい。ただ、マルチ奏者としてひとりで膨大なタスクをこなすフォードの功績も大きいのだろう、入れ子状になったように緻密に構成された楽器のレイヤーはリッチで奥行きがあり、ディティールに富んでいる。「Burden of Life」の前衛的なハーモニーと複雑な室内楽のアレンジ、「Lost Changes」のメロドラマを誘う壮大なオーケストレーションは、フローレンス・アンド・ザ・マシーン然り、あるいは『Tranquility Base Hotel & Casino』や『The Car』でアークティック・モンキーズをモダンなバロック/チェンバー・ポップにトランスフォームさせたフォードの仕事も思い起こさせるかもしれない。そして、ハンマー・ダルシマーと子供たちの合唱があたたかな気配を添える「Floating on a Moment」、牧歌的な静けさに満ちた「Whispering Love」が窺わせるブリティッシュ・フォーク/トラッドへの深い傾倒は、『Out of Season』でも 「Mysteries」や「Sand River」に聴くことができた、両作品をつなぐ大きな水脈と言えるだろう。 「フォーク/トラッド・ミュージック」といえば近年、英国ではその価値や伝統を新たに捉え直そうとする実験的な動きが若い世代のアーティストの間で広がりを見せている。ソーリーのキャンベル・バウムが立ち上げたブロードサイド・ハックス、アパラチアン・ミュージックにルーツを持つキャロライン、口承の伝統を讃えるショヴェル・ダンス・コレクティヴ、アートや演劇的要素を盛り込んだマイ・ライフ・イズ・ビッグなどはその代表的なグループだが、ブリストルでもたとえば女性シンガー・ソングライターのケイティ・J・ピアソンがウェット・レッグやブロードサイド・ハックスらとコラボレーションした映画『ウィッカーマン』のサウンドトラックのカバー集『The Wicker Man EP』(2023年)が話題を呼び、また現在ブリストルを拠点に活動しているスクイッドのようなバンドも、最新アルバム『O Monolith』(2023年)で木管楽器やクワイアを取り入れた背景として60年代や70年代のブリティッュ・フォーク・ミュージック――フェアポート・コンベンションやペンタングル、ニック・ドレイク、シャーリー・コリンズに触発されたことを公言していたのも記憶に新しい。余談だが、スクイッドのメンバーがアルバム制作のインスピレーションになった作品に、アトリーとゴールドフラップのウィル・グレゴリーが制作し、60年代のブリティッシュ・フォーク・リバイヴァルを牽引したアン・ブリッグスを迎えた映画『Arcadia』のサウンドトラック(2018年)を挙げていたことを思い出す。 今回の『Lives Outgrown』を制作するにあたって、ギボンズの視界にそうした外の世界の動きが入っていたとは考えにくい。しかし、まるでエムドゥ・モクターをジョン・スパッド・マーフィー(ランカム)がプロデュースしたような「Rewind」の禍々しいフォーク・メタル――それは2014年にギボンズがブリストルのドゥーム/ストーナー・メタル・トリオ、GONGAと共演したブラック・サバスのカバーを思わせる場面もある――は、それこそポーティスヘッドが『Dummy』と『Portishead』から『Third』へと“移行”したように、『Third』のシンセサイザーやメカニカルなドラム・ビートをアコースティック楽器に置き換えた“新しい何か”のようにも聞こえる。マーチング・ドラムと野蛮なブラスが骨に響く「Reaching Out」は、ロックンロール誕生以前の時代に回帰した『Let England Shake』や『The Hope Six Demolition Project』の頃のPJハーヴェイの楽曲も思わせる燃えたぎるようなオペラで、かたや「Oceans」の蛇行するゴシック・フォークは、ノーマン・ウエストバーグとソー・ハリスが揃った近年のスワンズのように美しくも陰鬱だ。そして、ジプシー・ジャズも想起させる「Beyond The Sun」の賑々しくも猥雑な音色やリズムは、ギボンズたちのアコースティックの実験が北アフリカやバルカン半島へとワールド・ミュージック的な広がりを見せた成果を聴かせてくれるようだ。