「テレビは終わり」は極論、当たり外れは“神の領域”…トレンディードラマ立役者の言い分
キーパーソンが語る放送100年
ラジオから始まった日本の放送が今年で100年を迎える。テレビは白黒からカラーへと変わり、衛星放送も登場。デジタル化も果たした。この10年は動画配信サービスが躍進し、スマートフォンなどで好きな時に番組が楽しめる時代となった。今後、放送はどうなるのか、キーパーソンたちに聞いた。(文化部 辻本芳孝)
「ビジネスモデルが違う」関西テレビ社長・大多亮
「テレビは終わり」との極論に走るネット派がいて、二項対立をあおっているのではないか。昔からよく言われるが、二項対立は野球とサッカーはどっちが強いかみたいな話だ。勝ったか負けたかでなく共存する、高め合うという発想もある。
海外の配信ドラマは、精緻(せいち)なプロット、脚本、出演者選定が全部できて初めて企画を進めるかどうかを判断する。でも、テレビのドラマを作っていると、想像力を膨らませて企画書に落とし込んでいても制作中に変えることがある。配信ドラマが小回りが利かないのは、地上波の何倍もの予算で失敗できないから。だが、吟味に吟味を重ねても当たらないものもある。もう神の領域なのだ。配信ドラマはシーズンが進むことで雪だるま式にもうかる仕組みになっているので、シーズン1で終わったら打ち切りに近い。地上波の連続ドラマはそれほどでもなく、ビジネスモデルが全然違う。
内容も、配信ドラマは地上波では扱いにくいテーマや暴力表現、性的表現がある。刺激的で見ていて面白いが、テレビは広告付き無料モデルで、多くの視聴者の目に触れるから公序良俗に反しないかを重視するため、当然差が出る。でもこっちは面白くて、こっちはつまらないというわけではない。規制の中で作る地上波ドラマの良さも絶対にあり、むしろ普遍的で大衆的かもしれない。制作費は全然違っても、例えば、関西テレビの「エルピス」や「春になったら」なども、内容や人に伝わる力が劣るとも思えない。配信ドラマが強くなると、地上波ドラマが駄目になるなんて思ったこともない。
最近は配信でも地上波ドラマが人気で、配信側からローカルドラマを作ってほしいという要望が来るほどだ。むしろ日本人に受ける連続ドラマに字幕をつけて世界に打ち出していく。日本のドラマのレベルはそのくらい高いし、作り手はやる気になる。