「テレビは終わり」は極論、当たり外れは“神の領域”…トレンディードラマ立役者の言い分
通信システムは10年単位で世代交代する。写真が手軽に送れるようになった2000年代の3Gから10年以降に4Gの世界が広がった。スマートフォンが登場し、ネットを介してサーバーなどを利用できる「クラウドコンピューティング」も生まれ、動画をモバイルで見られる時代になった。最初はこんな小さい画面で誰が見るんだと言われたが、動画、音楽、電子書籍など色んなアプリが花開いた。
ただ、技術は進んでも動画配信サービスはそれほど進展しなかった。その状況を劇的に変えたのは、11年のHuluの参入だ。海外ドラマや映画をテレビだけでなく、スマホなども含めたマルチデバイスで見られるというのが衝撃的で、権利元の動画配信の権利処理に対する理解が一気に進んだ。その後、15年にネットフリックスとAmazonプライム・ビデオが、国内サービスに参入してきたことで流れが定着した。
日本で動画配信が進まなかったもう一つの理由に、レンタルビデオが先進国で最も発達した国だったという事実がある。それがコロナ禍で店舗に借りに行けなくなり、消費者行動が変わった。さらに、技術の進展でスポーツや音楽のライブ配信を何百万もの人が同時に見られる時代が訪れた。ABEMAでサッカー・ワールドカップの配信が行われたのもその一つだ。
とはいえ、同時視聴の単位が何千万人になると、今の技術ではハードルが高く、まだ放送にかなわない。20年頃から始まった5Gのインフラが全国津々浦々に広がれば、理論上は放送と差がなくなる。とはいえ、視聴者がオンデマンド視聴のみを選ぶことにはならないだろう。番組を自分で選ぶのが煩わしい人もおり、(タイムテーブルに従って視聴する)放送のチャンネルはなくならないはずだ。
AIがショート動画制作、やりがい冷めないか
放送局が担う価値がなくなるとも到底思えない。災害の時にすぐテレビをつけるとか、朝起きたらテレビで話題をチェックするといったニーズはなくならない。報道番組と情報番組は放送局の最大の強みで、その価値は5Gの時代にも変わらない。