年商数億円の人材派遣業を辞め『ザ・ノンフィクション』で話題の結婚相談所社長「鯛の尾より鰯の頭になれ」と父に叩き込まれ
さまざまな背景を持つ婚活者に対して、叱咤激励をする植草美幸さんの姿をテレビで見たことがある人はいるでしょう。彼女が代表を務める結婚相談所の成婚率は驚異の8割超え。類を見ない目利き力は、幼少期から養われていました。(全2回中の1回) 【写真】「脚長すぎ」アパレル業界時代のスタイル抜群すぎな植草美幸さん ほか(全6枚)
■アパレルの販売員としてスタートした会社員時代 ── 男女共に交際経験の減少が続く昨今、自然な出会いによる結婚のハードルは高く、婚活サービスに頼る人が増えているといいます。そんななか、高い成婚率とユニークなキャラクターでメディアでもひっぱりだこな植草美幸さん。結婚相談所を立ち上げる前は、アパレル業をされていたとお聞きしました。
植草さん:もともとファッションが好きで、アパレルの販売からキャリアをスタートしました。というのも私の母は洋品店を経営していて、自分でデザインした洋服を縫い、店頭のショーウィンドーにディスプレーしてお店で売っていたんです。私も3、4歳のころからお店でお針子さんたちの真似をしては、ハンカチを縫ったりしていましたね。小学生になると、日本橋三越で子ども服を買ってもらったり、母が仕立てた洋服を着て学校に通うようになりました。だから、いろいろ言われました。当時はみんなちびまる子ちゃんのようなスカートを履いていたのに、私はパンツスタイルで学校に行って、「男だ!」とからかわれることもありました。
私にとってアパレルに就職したのは自然な流れ。でも、アパレル業界って「売れてる?」が挨拶がわりで、周囲のお店の人や業者との会話もそれしかない。毎日出社するたび、その繰り返しです。何十年もこれを続けるのは、私にはちょっときついかなと思ってしまった。それに販売員はどんなに業績をあげても、お給料が他の人と倍も違うわけではありません。同じアパレルでも経営者なら実入りも違うし、やりがいはある。独立しようと決め、1995年4月に自分で会社を立ち上げました。メーカーに依頼されて服を売る、販売代行業という仕事です。