年商数億円の人材派遣業を辞め『ザ・ノンフィクション』で話題の結婚相談所社長「鯛の尾より鰯の頭になれ」と父に叩き込まれ
最終的に販売代行は25店舗に増えました。自社で投資する路面店も2店舗持っていたので、常時27店舗回している状態です。そのほかに販売教育のトレーナーを派遣する事業も展開していました。たとえば、大阪の店舗に4泊5日で行って指導して、2日休んだら、次にトレーニングをする京都にあるホテルに荷物を宅配便で送って、という具合に日本全国を回るんです。私自身は管理役です。売り上げやクレーム率、店舗の状態を見て指示していきました。150人いた販売員はみんな若い女性たちなので、結婚したりして辞めていく。毎日のように求人を出し、面接をしていましたね。勢いがあったと思います。
■リーマンショックでアパレルの限界を知った ── そんななか、結婚相談業へ事業転換されたのはなぜでしょう。 植草さん:きっかけは2008年のリーマンショックでした。私たちが販売代行していたお店は高級店でスカートが2万円、ジャケットが4万円します。会社員の女性たちがセットアップで10万円近い服を日常的に着る時代でしたが、リーマンショックで消費が落ち込んで、物が売れなくなってしまった。ただ、じつはそれ以前に、もうアパレルは厳しくなるなとは思っていました。ユニクロが何年も前に出てきて、これから先は高い洋服は売れなくなるなと感じていたんです。ファストファッションの時代に突入すると見込んだので、アパレルはこれで終わりにしようと決めました。
幹部社員を集めて、「よし、違う事業をやろう!」とアイデアを募りました。すると「老人ホームをやりましょう!」「保育園をやりましょう!」と2つの案が提案されました。ただ、いろいろ調べてみると、それらは準備するまでに数年かかる。そんなに時間をかけてはいられません。そうしたらある幹部社員が「そういえば社長って若いころからボランティアで仲人やっていますよね。さらにお祝い金も払って、披露パーティーの会費まで払っている。でもそれ、本当はその行為自体がお金になるんですよ」と言い出して。