野村克也監督「死球くらいでガタガタ言うな!」野村ヤクルトと長嶋巨人が“大乱闘”…ノムさんに狙われた巨人落合博満40歳「落合は何を考えとるんや」
「ガタガタ言うな」野村ヤクルトと長嶋巨人の大乱闘
前年から野村ヤクルトと長嶋巨人には、因縁があった。 1993年5月27日の神宮球場で大久保博元が左手首に死球を受けて骨折。野村監督は「向こうも古田に何回も来てるやないか。大久保に当たったくらいでガタガタ言うな!」と吠え、6月8日の富山市民球場では、宮本和知がID野球の申し子・古田敦也の肩口へ死球を与え両軍睨み合いに。次打者が放った適時打で本塁突入した古田に、返球をキャッチした捕手の吉原孝介がダメ押しの肘打ちで応戦。これにネクストバッターズ・サークルにいたジャック・ハウエルが激怒して、両軍入り乱れる大乱闘に発展してしまう(ハウエルと吉原は退場処分)。 まだ乱闘が多く、WBCの代表チームも存在しない時代、チームの垣根を越えた交流もタブー視されており、球界は今よりずっと殺伐としていた。そして、宿敵に落合が加わった1994年の西都キャンプでは、野村監督が内角攻めを徹底させるために発注したという“落合人形”と呼ばれる人形をブルペンに立たせ、西村龍次や荒木大輔がブラッシュボールの練習に励んだ。依然として両チームは一触即発の危険な状況だった。
「全身汗びっしょりだった」落合
巨人で初めてのキャンプに臨んだ40歳の四番打者は、例年より早いペースで調整を進め、2月15日にはマシン打撃を開始。その練習量の少なさにOBからは懐疑的な声も上がったが、所憲佐サブマネージャーが所用でホテルの部屋を訪ねると、中から汗だくの落合が出てきたという。 「所は落合の姿を見て驚いた。全身汗びっしょりだったのだ。『何やってるんだ、オチ』『仕事だよ、仕事……ところで、何の用? 』。所が用件を説明すると、落合は『何だ、そんなことか。わかったよ』と言ってドアを閉め、再び『仕事』に戻った。また素振りを振り始めたというのである」(激闘と挑戦/落合博満・鈴木洋史/小学館) 練習嫌いとレッテルを貼られた男が、部屋でひとり納得をするまでバットを振っている。それが落合のやり方だった。ロッテ時代の恩師、稲尾和久は監督と四番打者という関係性に加えて、プライベートでは酒を酌み交わす間柄だったが、試合後にこんな光景を目撃したという。 「ある日の川崎球場、試合後、私は査定表をつけるのが日課だったから球場を出るのは一番最後。そこへ掃除のおばさんが現れて、まだロッカーに選手が1人いて掃除ができないから帰れません、というんです。ロッカーに行ってみると、試合が終わって1時間も経とうかというのに、落合がユニフォームのままバットを持って大鏡の前に立っている。あまりの真剣な表情に、声もかけられなかったよ」(週刊ベースボール1994年2月14日号)
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