高島礼子 俳優デビューは松平健に声をかけられた『暴れん坊将軍III』降板時にもらった"珠玉の言葉"
1988年、25歳のときに『暴れん坊将軍III』で俳優デビューして以来、数多くの映画やドラマに出演。今年も舞台「メイジ・ザ・キャッツアイ」で藤原紀香、剛力彩芽と共にトリプル主演を務め、公開中の映画『カーリングの神様』ではカーリング会場のオーナー役として出演するなど、長きにわたって第一線で活躍する高島礼子。かつてはレーサーを目指していた彼女が、なぜ俳優の道をえらんだのか。(前後編の後編)。 【写真】役者を仕事として考え始めた時期について語る、高島礼子の撮りおろしカット【7点】 ――高島さんは芸能デビューする前に、会社勤めをしながら、アマチュアレーサーをやっていたそうですね。 当時は「富士フレッシュマンレース」(現・富士チャンピオンレース)を目指していたんですが、自費だったので、チームのみんなでお金を節約しながらやっていました。ドライバーに専念したい気持ちもあったんですが、そんな訳にもいかず。自分がドライバーのときに助けてもらった分、違う方がドライバーをするときはフォローに回るんです。2年ほどレースをやっていたんですが、ほとんど誰かのためにやっていました。そのときにチームで何かを成し遂げることの楽しさを知りました。 ――勝手なイメージでレーサーは我が強いものだと思っていました。 それは一握りのトップクラスの方で、特にアマチュアの世界ではチームワークが大切なので、性格が悪かったらできないですね。ワンマンだと、みんなも手伝ってくれないですし。 ――当時、高島さん以外にも女性レーサーはいたんですか。 ほぼいなかったです。三原じゅん子さんがスポンサーを付けてやっていらっしゃったので、羨ましいなと思って見ていました(笑)。 ――高島さんは25歳のときに『暴れん坊将軍III』で俳優デビューしますが、かなり遅めの年齢ですよね。 いつも芸歴のお話しをするときに、どこから数えたらいいか悩むんですが、私は基本的に役者になった『暴れん坊将軍III』からが芸歴だと思っています。ただ23歳でキャンギャルを始めて、その流れでモデルをやっていましたので、その時代から数えると、芸歴は37年ぐらいですね。 ――今でこそ二十代でモデルを始める方も多いですが、当時は珍しかったのではないでしょうか。 そうなんですよ! あの頃は二十歳を過ぎたら、年齢的にモデルとして終わりぐらいの状況でした。ましてや23歳で始めたとなると、あまり仕事もなかったんです。しかも私は身長が168センチしかなくて。今は160センチ前後のモデルさんもたくさんいると思うんですが、私の時代は「170センチ以上ないとモデルじゃない」と。 それでもキャンギャルで知り合ったモデルちゃんたちが応援してくれて、どうにかモデルを始めたんですが、フロアショーやMCのお仕事ぐらいしかなくて。そんな中で受けたオーディションに合格して、「とらばーゆ」のCMに出演したんです。それを見てくださった松平健さんが声をかけてくださって、『暴れん坊将軍III』の出演が決まりました。 ――松平さん直々にですか!? 松平さんと、『暴れん坊将軍III』のプロデューサーの近藤洲弘さんが、同時に私がいいんじゃないかと思ってくださって、お二人から声をかけていただきました。当時24歳だったんですが、『暴れん坊将軍』は観ていましたし、親も大好きだったので、やらないという選択肢はないなと。お芝居の経験はなかったんですが、何の迷いもなくお受けしました。