「死刑」は人類史において”重要なステップ”だった…人類の「協力」を育んできた「死刑」が今”過小評価”されている理由
人種差別、経済格差、ジェンダーの不平等、不適切な発言への社会的制裁…。 世界ではいま、モラルに関する論争が過熱している。「遠い国のかわいそうな人たち」には限りなく優しいのに、ちょっと目立つ身近な他者は徹底的に叩き、モラルに反する著名人を厳しく罰する私たち。 【漫画】「しすぎたらバカになるぞ…」母の再婚相手から性的虐待を受けた女性が絶句 この分断が進む世界で、私たちはどのように「正しさ」と向き合うべきか? オランダ・ユトレヒト大学准教授であるハンノ・ザウアーが、歴史、進化生物学、統計学などのエビデンスを交えながら「善と悪」の本質をあぶりだす話題作『MORAL 善悪と道徳の人類史』(長谷川圭訳)が、日本でも刊行される。同書より、内容を一部抜粋・再編集してお届けする。 『MORAL 善悪と道徳の人類史』 連載第31回 『「暴力」と「死」でできた血塗られた歴史…二万年前の”壁画”が克明に映し出す人類の「残酷さ」』より続く
西洋哲学の歴史は“死刑”から
現在では、死刑は(あるいはより抽象的に表現するなら、制裁として行われる多数による一人の人間の計画的な殺害は)世界的に減りつつある。多くの国では完全に廃止された。法的にまだ廃止されていない国でも、(特別に厳格な政府を除けば)実行されるのはまれで、ほとんどの場合で、極めて重大な罪を犯した者に限定される。ドイツでは1949年に廃止された。 西洋思想において、死刑は特別な位置を占めるようだ。 西洋哲学の歴史は死刑で始まる。具体的には、哲学の父ソクラテスが死刑になった。紀元前399年、ソクラテスはアテネの法廷で、ドクニンジンの汁を飲むという判決を受けた。必ずしも不当な判決だったとは言えない。何しろソクラテスは、アテネの民主主義を破壊に導き、その代表者らを8ヵ月のあいだに大量に殺害させた「30人の暴君」を支持したのだから。それとも、ソクラテスは無実だったのだろうか?
死刑を“行わなかった”社会はほとんど存在しない
歴史的に見て、望まれない分子に対して儀式的・法的な殺害を“行わなかった”社会はほとんど存在しない。それでもなお、人類の進化、特にモラルの進化において処刑が担った役割については、過小評価されることが多いようだ。 人類の道徳史における最初の重要なステップは、協力関係の成立だった。人類は、利他的な気質を育み、自分の直接の関心と共通の利益を結びつけることが長期的には賢い選択であることに気づいた。 同時に、単純な形の協力行動を進化的に安定させるのには限界があることも、すぐに悟った。包括適応度と直接的な互恵性だけでは、数十人(例外的には数百人)を超える数で構成される集団の協力行動を促すには、不十分なのだ。近い血縁関係の外側では、遺伝的なつながりが希薄になり、相互支援の連鎖は脆弱かつ複雑になるので、もっと大きな集団を構成するには、包括適応度や互恵性よりも優れたツールが必要になる。そして、実際にそのようなツールが必要とされた。家族愛や友情の絆の外にいる人々といっしょに暮らすには、最も攻撃的な衝動を可能な限り押し殺せる人々が必要だったからだ。
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